「拝む」は特権行為

コッコたけぞう

2021年04月17日 00:40

沖縄で有名な喜劇に、『走れ!トートーメー』というものがあります。
数十年前の雰囲気の設定で、酒造所のオーナーが愛人との間に子供を作ってしまい、
愛人が子供のためにオーナーの自宅にある祖先のトートーメー(位牌)を拝ませてほしいと懇願したことから、ドタバタが始まる内容です。

いかにも沖縄らしい内容の劇なのですが、愛人がトートーメーを拝ませて欲しいと願う所に、とても深い信仰的意味合いがあります。

愛人が祖先の位牌を拝むことに固執したのは、子供が祖先のご加護を得られるようにするため。

この話には、前提として、
① 拝むと祖先が護ってくれる
② 拝む対象の祖先は、特定の人(たち)が独占している

という状況があります。

祖先神に護ってもらいたい、でも、祖先神に拝む場は一部の人間に独占されている。

これ、歴史的に人類が続けてきた聖地の独占の思考そのものです。
「拝む」という特権行為を許された人たちは、「拝む」べき拝所・聖地を独占します。


上の写真は、とあるお墓に記されている文言です。
最後の一文にご注目下さい。

「他人はおがむな」

このお墓に葬られているご先祖さまの恩恵を、一部の人が独占したいと願っています。

あ、もちろんそれで良いんですよ!
それは何も悪いことではない。
子孫の方々が、祖先を拝むことを自分たちでしたいのは当然の事です。

ここで言いたいのは、人々は歴史的に同じことをしてきている、ということです。


上の写真は玉陵(タマウドゥン)の碑文です。
玉陵はもともと自然崇拝の聖地で、琉球国王が一族のためにお墓を造営した場所です。
写真の石碑は玉陵の敷地内に建立されたものですが、その文中に、
このお墓に埋葬されて良いのはこの一族だけ
背く者は、「天に仰ぎ地に伏してたたるべし」
と記されています。

かなり強烈な聖地の独占意識です。

この独占の心理には、神の力を信じていることが根本にあります。
そして支配者が存在した時代、聖地を独占することが、どれだけ重要なことだったか。
一般民衆は、自由に拝みたくても拝めませんでした。

「拝む」という行為は、一部の人たちだけに許された特権行為だったのです。



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