聖域に造営された按司の墓2 護佐丸父祖の墓
神格化された按司(支配者)の墓は、聖なる山の頂部直下の中腹に造られた。
「聖なる山」にはグスクや御嶽などがありますが、まずは、グスクの頂部直下に造営された按司墓をご紹介していきます。
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恩納村は山田グスクにある「護佐丸父祖の墓」です。
護佐丸父祖の墓
恐らくはもともとあった石灰岩丘陵のくぼみを利用して造られた墓です。
座喜味グスクと中城グスクの城主であったことでも有名な
護佐丸の先祖が眠っていると伝えられます。
この墓にたどり着くために、階段を上っていきます。
護佐丸父祖の墓に至る階段一見なんの変哲もない階段ですが、なかなか急峻な崖沿いに造られています。このような場所にそこそこの長さのものを造るには、それなりに気合の入った土木工事が必要だったことでしょう。
このような悪環境の中、わざわざ崖の中腹に墓を築いたのはなぜでしょうか?
それは、聖なる山の中腹を墓所と決めたからに他なりません。
恩納村博物館『護佐丸展~護佐丸関連のグスク~』2007年の図に加筆
上の図から、山田グスクの地形と護佐丸父祖の墓の位置が分かります。
青く塗りつぶしたところが聖なる山、山田グスクの頂部です。
北と南に2カ所ありますね。
赤い丸で示したところが護佐丸父祖の墓です。
山田グスクの南側の頂部の西側直下に造られています。
この事例ひとつだけだと、
「偶然じゃない?」
と思われることでしょう。
もちろん、まだまだたくさん事例があります。
私の調査では、グスク時代に遡ることが科学的分析等で確実な按司墓や、文献、形態等からグスク時代に遡る可能性が高そうな按司墓は、
ほぼすべて「聖なる山の頂部直下」という位置に造られています。
ひとつずつご紹介していきますね。
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