聖域に造営された按司の墓11 漢那ウェーヌアタイの木製家型墓
神格化された按司(支配者)の墓は、聖なる山の頂部直下の中腹に造られた。
今回は、宜野座村の
漢那ウェーヌアタイの木製家型墓です。
漢那ウェーヌアタイの木製家型墓(復元)
現地にある木製家型墓は復元で、本物は修復されて宜野座村立博物館に展示されています。
木製家型墓正面(復元)あまり馴染みのない墓で違和感を覚える方も多いと思いますが、
恐らくグスク時代には沖縄本島全域に見られた墓の形でした。
「全域」と言っても、みんながみんな使用した訳ではありません。按司や神女など身分の高い人たちだけです。
漢那ウェーヌアタイの木製家型墓には、
「グッチャ按司」という人物が葬られたと伝えられています。
そしてその
造墓位置は、やはり聖なる山の頂部直下なのでした。
ダキ山山中
グッチャ按司が葬られたのは、「ダキ山」と呼ばれる聖地です。
大きな洞穴があり、その中に木製家型墓が置かれました。
木製家型墓が置かれた洞穴入口ダキ山頂部と墓の位置関係は下の図のようになります。
宜野座村教育委員会『漢那ウェーヌアタイ遺跡発掘調査報告書』1990年の図に加筆漢那ウェーヌアタイにおいても
聖なる山の頂部直下という位置関係が確認できることには、
非常に重大な意味があります。
これまで紹介してきたグスクの按司墓はほとんど調査がなされていないため、実は成立年代がはっきりしません。
しかし、漢那ウェーヌアタイは理化学的調査が行われて、
木製家型墓の制作年代が判明したのです。
それによると、
13~14世紀だそうです。
王統としては英祖から察度ということになります。
沖縄の現存最古の木造建築です。
ところで、尚巴志によって琉球が統一されたのは1429年で、漢那ウェーヌアタイの木製家型墓が造られた13~14世紀というのは、統一前ということになります。
統一前の琉球は各地に按司が割拠していたというのが通説ですが、
北部でも南部でも、墓の形が同じなのはなぜなのでしょう?
今後、検討しなければならない課題です。
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