2019年07月28日 23:55
沖縄本島だけで200はあるというグスク。
ほとんどすべてが、村の聖地として今に残ります。
本土の村々に神社があるように、沖縄ではグスク・御嶽が人々を守護していると考えればイメージしやすいかも知れません。
グスクが成立したのは12世紀ころだと考えられていますが、
成立当初から現代まで、すべてのグスクがずっと聖域であり続けたとするのが聖域説
成立から400年ほどは、大半のグスクが防御性をもつ集落であったと考えたのが防御集落説
です。(防御集落説と城説の違いは後日お話します)
ところで、ほとんどのグスクからは、お皿やお碗などの遺物が出土します。
聖域説と防御集落説は、このような遺物の性格をどう考えたのでしょうか?
まず、防御集落説は、これらを生活用品と考えました。
というよりむしろ、これら生活遺物が出土することが、防御集落説の根拠になっています。
一方、聖域説は、これらを祭祀に用いた祭祀遺物と考えました。
神社やお寺でも、神仏に供物を捧げるときには皿や碗を使いますよね。
グスクの出土遺物もこうした性格のものであろうと。
出土遺物をめぐる聖域説と防御集落説の議論の結果・・・
聖域説、圧倒的不利 _| ̄|○
防御集落説の聖域説批判
①祭祀に使ったって。出土遺物の質・量が一般集落と変わらないんですけど?
②出土遺物は13・14世紀の物が多くて、その後、数百年間ほとんど遺物がありませんが、祭祀にどんな変化があったか説明できますか?
こんな嫌味ったらしい言い方をしている訳ではないですが、要は、そういうことです(笑)
嵩元氏のこの痛烈な指摘に、聖域説論者から説得力ある回答はありませんでした。
成立期のグスクに人の居住があったことは、もはや通説
となっています。
成立期のグスクに人の居住はありました。
しかし、嵩元氏が遺物の出土が数百年間ほとんどなくなると指摘するように、
グスクに住んでいた人たちはどこかに消え失せてしまいます。
このことに関して嵩元氏がどのような歴史像を想定したか。
次回お話します。
参考文献
・嵩元政秀「『グシク』についての試論 ―考古学の立場より―」『琉大史学』創刊号 琉球大学史学会 1969年
・仲松弥秀「『グスク』考」『沖縄文化』第5号 沖縄文化協会 1961年