グスク聖域に築かれた建造物(上)
グスク石垣の中には確かに聖域が存在しますが、どういった範囲を占めるものであったのかを断定できる材料はありません。
しかし、
いくつかの建造物に関しては、それが聖域の中に築かれたことを論証できます。
図を使って説明します。
上はグスクの断面イメージですが、平場から突き出た自然岩が信仰の対象であるイベ石です。
周辺地形が埋められか削られるかして平坦化される中、
イベ石だけは埋められも削られもせず意図的に残されたことは、
過去記事でお話した通りです。
イベ石の地下には、自然丘陵が丸々埋まっているのです。
さて、イベ石は、もともと信仰があったからこそ各グスクで意図的に残されている訳ですが、
平場が造成される以前の聖域の範囲はどのようなものであったでしょうか?
グスクは山岳信仰の聖山なので、麓まで聖域であったと私は考えていますが、仮にそれよりももっと狭く、それこそイベ石の周辺のみが聖域であったとしても、ひとつだけはっきりと言えることがあります。
イベ石を取り込んだ平場は、元来の聖域の中に造られている。
なぜこのようなことが言えるのか?
「聖域」はエリアであり、信仰対象であるイベ石だけで“域”は成し得ません。
イベ石を拝む場所や、禊を行う所、供物を捧げる場など、様々な施設を内包した一定空間が聖域なのです。
神社の鳥居をくぐれば聖域であるのと同じです。
さて、上の図をもう一度ご覧ください。
イベ石を取り込んだ平場は、
イベ石に接する所まで平らにならされています。
つまり、
この平場は、イベ石周辺に元々あったはずの拝所や諸施設を埋めるか削るかして形造られているのです。
(つづく)
お城・史跡ランキング
関連記事