グスク聖域の範囲
グスク論争、2つの争点
争点①
グスク石垣内において、聖域はどれくらいの範囲を占めていたか?
争点②
グスク石垣内に、人は住んでいたか?
ここまで争点①を論じる中で、
・
グスクにあるイベ石への信仰は、グスク時代以前に遡る
・
グスクの信仰は、本土の山岳信仰と同質のものである
ことをお話しました。
では、
グスクの聖域の範囲はどこからどこまでだったのでしょうか?
最も神聖視されていたであろうグスクの頂部(
過去記事参照)が聖域であったことはまちがいないでしょう。
では、頂部からどこまでが聖域だったのでしょうか。
グスクの信仰が山岳信仰であることを考えると、聖域の範囲は、
山頂から麓までということになるでしょう。
地形的な変化点、よく『ブラタモリ』で山の「ヘリ」と表現されるような場所は、俗域と聖域の境界とみなされることがしばしばです。
その「ヘリ」がある麓までが聖域であったと考えるのはごく自然なことと思われます。
実際、典型的な山岳信仰の形態を持つ今帰仁村のクバ御嶽の拝所「イビヌメー」は、
クバ御嶽の麓、「ヘリ」に設けられています。
クバ御嶽 イビヌメー
グスクはこうした聖山の上に築かれたのであり、石垣内全体が聖域とみなされていたと考えられます。
しかし、これは推測の域を出ません。
仮に、中腹に「ヘリ」があったとすれば、グスクの上半分が聖域だったということも考えられます。
それよりなにより、
聖域は、時代によって範囲が変化する可能性があり、ここからここまでが聖域だと、なかなか断言できるものではないのです。
さて、そんなネガティブ発言の後ですが、
争点②に話を進めていきます。
グスク石垣内に、人は住んでいたか?
多くのグスクで人が住んでいたことは考古学的に通説であり、私も支持します。
ただし、
住んだのは聖域の中であったというのが私の考えです。
聖域の範囲は時代によって変化すると言ったばかりなのに、居住場所は聖域の中であると断言するのは矛盾して聞えますよね?(笑)
しかし、イベ石と平場造成の構造から、
いくつかの建造物は聖域に建てられたことが確実である
と断言できるのです。
次回、その根拠をお話をします。
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