グスク防御集落説を理解する その5

コッコたけぞう

2019年07月30日 21:00

難解な「グスク論争」をわかりやすく解説しようと意気込んで話し始めましたが、
防御集落説、すでに「その5」

んーーー、、、長い(-_-;)
正確に理解してもらうには、どうしても情報が増えてしまいます。。。


最終的には、たけぞう的に各説を一言でまとめますね。
いつになるやら(笑)


伊計グスク(うるま市)



さて、前回『グスク防御集落説を理解する その4』で、
防御集落説の問題点を2つ指摘し、ひとつを解説しました。

今回は、問題点その2

集落と聖域、なぜ同じ「グスク」と呼ぶの?

に関して、防御集落説がどのように考えたかをお話します。


結論


・・・


分かりません(๑´ڤ`๑)テヘ♡


防御集落説は、大半のグスクが集落から聖域へと変化することを明らかにしました。
しかし、集落になったことのない少数の聖域的グスクがいかに発生し、なぜグスクと呼ばれたかについては、
まったく考察できていないのです。


むしろ、「考察できない」と言った方がいいのかも知れません。

考古学は、出てきたモノからしか歴史を創造できない学問なので

(「聖域」は掘っても出ない)


ただ、もうひとつ原因として考えられえるのは、
グスク防御集落説をベースにした「定説」の成立です。

非常に説得力のある定説が生まれてしまったがため、生粋の聖域グスクへの視点がマヒしてしまったかのような雰囲気もあります。
主観ですが。。。


次回、グスク論争の定説と、防御集落説の関連性
そして、その問題点についてお話します。


参考文献

・嵩元政秀「『グシク』についての試論 ―考古学の立場より―」『琉大史学』創刊号 琉球大学史学会 1969年





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