聖域に君臨した按司6 首里グスク(首里城)

コッコたけぞう

2019年12月15日 23:30

グスク時代の支配者、按司(あじ)は神格化され、聖域(=グスク)に君臨することで自らの権威・神威を誇示した。
グスク支配者聖域君臨説

第6回目の今日は、世界遺産 首里グスクです。


首里グスク正殿

群雄割拠の時代を勝ち残り、王国滅亡まで支配者の城として機能し続けた首里グスク。
あまり注目されませんが、ここにはグスクの根幹をなす聖域が色濃く残されています。


上の写真奥に、異様に高く積まれた城壁がご覧いただけると思います。
この城壁の向こう側は、「京の内」(きょうのうち)と呼ばれる首里グスクで最も神聖な聖域で、木々に覆われた鎮守の杜となっています。
王国時代は神事を司る女性しか入れない場所で、男性で立ち入ることができたのは国王だけでした。
城壁の手前に写っている祠は「首里森御嶽」という拝所で、イベ石(磐座)が拝まれていました。

グスクの根幹は山岳信仰の聖地であり、丘陵頂部がもっとも神聖視されている

ということを何度もお話してきましたが、
京の内は、首里グスクの土台となる自然丘陵の頂部に当たります。
首里森御嶽は京の内の頂部を拝む向きに造営されており、京の内の遥拝所であったとも考えられています。


京の内の中に入ると、だらだらとした傾斜が続きますが、しばらく行くと大きく地形が変わる所があります。


京の内にある石灰岩丘陵のヘリ

石灰岩丘陵が盛り上がるところがあり、この上が自然地形上の首里グスク最高所で、最も神聖な場です。


あまりいい写真でなくて申し訳ないですが、上の写真の柵の向こう、石積み囲いが首里グスク最高所の拝所です。

これまで見てきたグスクであれば、この隣に正殿が設けられている訳ですが、首里グスクの場合・・・


最高所の拝所周辺


京の内最高所から写した正殿

あれれ?
拝所の近くには何もなくて、正殿はあんな遠くに・・・

実は、発掘調査から、正殿が今の場所に建てられたのは15世紀頃であると考えられています。
そして、京の内の最高所には、瓦葺きの立派な建造物が存在していたことも分かりました。

つまり、首里グスクにおいても、他グスク同様、
頂部で拝所と建造物が隣り合う構造が成立していたのです。
この(↓)構造。





では、なぜ正殿は今の場所に建てられたのでしょうか?

これは大きな謎です。
他グスクとは違う構造を示すことで、王城の格を見せつけようとしたのでしょうか?

首里グスクは長い歴史の中で、聖域構造がしばしば変化していることが分かっています。
今後の研究でスポットが当てられる日が来たらいいなあ、と思うのでした。

正殿がなくても、首里城の見所はたくさんありますよー!



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