聖域に君臨した按司8 浦添グスク
グスク時代の支配者、按司(あじ)は神格化され、聖域(=グスク)に君臨することで自らの権威・神威を誇示した。
(
グスク支配者聖域君臨説)
「聖域に君臨した按司」シリーズ、とりあえず今回で終わりです。
のちのち追加で書くかも知れませんが。。
最後にご紹介するのは、
首里城以前の王城にして琉球王国発祥の地である
浦添グスク
です。
浦添グスク内郭西の城壁浦添市が
世界遺産の追加登録を目指す
浦添グスク。
その
歴史的・文化的価値の高さに比して、知名度はかなり低いです。
「マニアックな観光スポット」として紹介するwebサイトも。
とほほ。。。
実は私、浦添グスク・ようどれの発掘調査に7年間、関わらせていただきました。
本当にすごいグスク・王陵なんです!
浦添グスク・ようどれのすごさは、いつの日か改めてお話することにして、今回は、
「浦添グスクでも、“丘陵頂部でイベ石と正殿が隣り合う”という
神格化した按司が聖域に君臨した構造が存在した」
というお話です。
浦添グスクの頂部にイベ石があったことは、文献からも聞き取り調査からも間違いありません。
しかし、残念ながら現存しません。
上のイラストは、浦添市が公開している
「浦添城跡散策マップ」の一部です。
グスクの網掛け部分は、戦後の採石工事で大幅に削り取られたエリアです。
平面積にして約1/4が地形ごと失われたことになります。
頂部イベ石は、かつてはこのエリアに存在していました。
イベ石の周辺は子供がかけっこ遊びをするくらいの広場になっていたことも聞き取り調査で分かっています。
現存する南側の斜面には陶磁器や瓦などの破片が転がっていて、斜面上の
イベ石が存在した平場に、何かしらの建造物があったことが想定されます。
これらのことから、グスク頂部にイベ石と正殿が隣り合わせにあったと予想されるのですが、
浦添市の公式見解はそうなっていません。
上は、浦添市が発表している浦添グスクの復元「完成予想模型」にたけぞうがちょこっと加筆したものです。
右の
赤円、「ナンジャムイ・クガニムイ」と呼ばれる岩が、グスク頂部のイベ石です。
そして、浦添市が想定する正殿位置は
赤楕円のあたりで、頂部イベ石と離れた比較的低い場所となっています。
浦添市がこの場所を正殿と想定した根拠はなんでしょう?
実は、それほど決定的な根拠はありません。
しいて言えば、
・
石敷きと基壇の一部などが出土したこと
・
周辺から大量の瓦が出土したこと
などです。
しかし、建物の規模はまったく分かりませんし、瓦が出土するのはこのエリアだけではありません。
そして、なにより
私がこの場所が正殿ではないと思う根拠は、
城門から近すぎることです。
まだまだグスクに奥行きがあるにも関わらず、
これほど城門に近い位置に正殿を築いているグスクは他に見られません。
また、浦添グスク城内は未発掘の部分も多く、私が正殿があったと想定する頂部近辺も、十分に調査がなされた訳ではありません。
浦添市が想定する
正殿位置は、まだ検討の余地を残しているのです。
すでに多くの成果を上げている浦添城跡(グスク・ようどれ)の発掘調査ですが、今後も期待大です。
生きている間に掘り終わってくれたらいいのになぁ(笑)
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