1話 変わらぬ聖地、変わりゆく信仰

コッコたけぞう

2020年03月03日 04:11

自然崇拝は日本の基層信仰です。

山・岩・木・洞・川・滝・島などなど。
あらゆる自然物を信仰の対象としてきました。
北は北海道から南は鹿児島に至るまで、全国各地の自然崇拝の聖地で神仏が祀られています


刈田峰神社奥之宮(宮城県) 山の聖地


笠森寺観音堂(千葉県) 岩の聖地


鵜戸神宮本殿(宮崎県) 洞の聖地

ところで、なぜ全国の自然崇拝の聖地で神仏が祀られているのか、不思議に思ったことはありませんか?

神社は天皇家の先祖を祀る宗教施設です。
寺院にしたって、天皇家が外国から受け入れた宗教です。

でも、天皇家って、はじめから日本全国を支配していたわけではないですよね?

日本のルーツは、近畿地方に興った大和朝廷です。
東北以北は蝦夷が治める地でしたし、鹿児島には隼人という土着の民族がいました。
吉備だって出雲だって筑紫だって、元から大和朝廷に属していたわけではありません。

そんな彼らに大和朝廷の支配が及ぶ前、果たして彼らの国に神社仏閣があったでしょうか?

もちろん、ありません。
それぞれの国でそれぞれの神や先祖を、自然崇拝の聖地に祀っていたことでしょう。

それがなぜ神社仏閣になってしまったのか?


要は、大和朝廷が、支配した地域の聖地に天皇家の先祖を祀らせ、信仰対象をすげ替えてしまったのです。
聖地の征服とでもいいましょうか。
神社仏閣の広がりが、大和朝廷の勢力圏の広がりを示している、と言っても過言ではないでしょう。

征服された上、自分たちが信仰する聖地に別の神様を祀られてしまった人々の想いはいかばかりか。。

我々はそんな歴史も忘れ去り、今では「単一民族」という意識さえ持っています。
大和朝廷の聖地支配が、精神支配、民族意識の同一化に果たした役割は相当に大きかったのではないでしょうか。


ところで、このような大和朝廷の聖地支配の歴史において、特に注目したいのが、
聖地は変わらない、信仰は変わりゆく
ということです。

自然崇拝の聖地は変わりません。自然なので、破壊しない限りその場にあり続けます。
しかし、そこで祀られる神は、時の支配者によってどうとでも変えられてしまうのです。


このことは、実は琉球でも言えます。

琉球の自然崇拝の聖地と言えば、御嶽です。

「御嶽」と聞いて思い浮かぶ信仰はどのようなものでしょうか?

男子禁制。

女性優位の信仰。

生い茂った木々。


ずっと大昔から続いているものだと、誰もが思っていますよね。
でも実はこれが、ある時期にある支配者が、制度化したことによって生まれた信仰だとしたらどうでしょう?


という訳で、「按司の聖地支配からみる琉球史」というタイトルで連載していこうと思います。
これが、私が一番おもしろいと思う琉球史です。
「変わらぬ聖地、変わりゆく信仰」を、大和とはまったく異なる論理で琉球は展開していきました。
グスク論争もこの中に埋もれてしまうほど、壮大な物語になります。
何話になるか分かりませんが、よろしくお付き合いください。



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