22話 神女 vs 薩摩!?

コッコたけぞう

2020年04月24日 14:14

琉球を侵攻した薩摩は、尚寧王に忠誠を誓う起請文(誓約書)を書かせました。(「21話 誓約書として使われた寺社のお札」参照)
そして、琉球支配を円滑に行うため、王府の権限を大幅に制約していきます。
年貢の徴収や、対外貿易などは薩摩の管理下におかれます。
国王や王府上層部の人選にも、強い影響が及ぼされました。


国王の人選と言えば、琉球で絶大な力を誇っていたのが神女です。
神女は、国王の任命権を握っていました。
第2代尚宣威王が神の名のもとに退位させられたのは有名な話です。

薩摩が国王の人選に口を挟むということは、神女との対立は必至です。

薩摩は、いかにして神女権力に対抗したのでしょうか?

薩摩が一番最初にだした法令に「掟」十五カ条というものがあります。
この中に、「女房衆」に知行を与えることを禁止するという一文があります。

「女房衆」=神女と考えられ、薩摩は手始めに、神女の経済力を奪うことから手を付けようとしたことが分かります。

しかし、実際には、琉球国が滅亡するまで神女の知行が止められることはありませんでした

神女への知行停止が徹底されなかったのはなぜでしょうか?
薩摩は神女権力を奪うことを断念したのでしょうか?


実は、知行停止よりももっと根本的に神女権力を封じる政策が取られました。

あの尚宣威を退位させた国王の即位に関わる儀式(「君てずりの百果報事」という)が、薩摩の支配以降、廃止されているのです。

薩摩の直接の指示なのか、王府側の妥協策なのかは分かりません。
ただ、事実として、神女が国王任命権を喪失したことがわかっています

尚真王以降、神女と国王が互いに任命しあう「排他的継承システム」で祭政の二大権力を継いできた第二尚氏でしたが(「13話 前代未聞!尚真一派の権力独占システム」参照)、薩摩支配以降、国王が一方的に神女を任命する関係に変わってしまいました。
その結果、薩摩は武力で男たちを抑えつけるだけで、琉球を実質支配できることになったのです。

恐らく神女側は強く反発したことでしょう。
神女への知行を停止するという当初の法令が撤回されたのは、神女の不満を和らげるためだったのかも知れません。


薩摩の侵攻後はじめて即位した尚豊王は、即位元年(1621年)神女と王権の切り離しを意味する事業を実施します。

弁財天堂の建立です。


弁財天堂(那覇市)

弁財天堂は、琉球随一の寺院、円覚寺の隣に建立されました。
もとは納経堂が建っていた場所です。
そして、本尊の弁財天像は、円覚寺から遷座させられました。


円覚寺(那覇市)

弁財天と言えばそう、琉球の最高神キンマモンと習合した仏です。(「19話 神仏習合・琉球バージョン!?」参照)

歴代国王の位牌を祀る円覚寺に弁財天を祀っていたのは、仏教界においても神女が国王を守護していることを強調する意味合いがありました。(「20話 弁財天を使って寺社を取り込む尚真」参照)

円覚寺の弁財天像を弁財天堂に遷座させるという行為には、王権と神女権力の分離をアピールする尚豊の思惑があったのです。
尚豊王即位1年目に行われた宗教改革の所信表明であり、薩摩が神女に勝利した象徴であったとも言えるでしょう


これ以降、神女権力はどんどん削られていき、聖地で行われる儀式も廃止あるいは簡略化されていきます。
しかし、民衆の信仰がなくなる訳ではありませんでした。
為政者によって儀式が変えられようとも神がすり替えられようとも、人々にとって、聖地は聖地であり続けたのです。「1話 変わらぬ聖地、変わりゆく信仰」参照)

琉球の聖地が次に大きな変革を迎えるのは、明治政府の侵攻によって琉球が滅亡した後でした。



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