9話 死してなお聖地を占有した琉球の支配者
生前、神格化され聖地に君臨した琉球の支配者たちは、死後も聖地に葬られました。
琉球の支配者の墓に個人墓はあまりありません。
ほとんどが一族共有の墓となっています。
一族の墓を聖地に造営することは、子々孫々に至るまで、神徳を一族で独占することを意味しました。
生前も死後も聖地を占有し続けることが、支配者一族の永遠の繁栄につながると考えたのです。
支配者が墓を造営した聖地は、やはり
神奈備山でした。
神の依代となる山の中腹に横穴を掘り、墓室としたのです。
護佐丸父祖の墓(恩納村)
鬼大城の墓(沖縄市)
安慶名按司の墓(うるま市)
支配者の墓のほとんどは上のように横穴を石積みでふさぐ構造をしていますが、最も初期のものは、横穴の中に建造物が建てられ、そこに支配者一族の骨が祀られていたようです。
13世紀後半に造営された初期浦添ようどれの想定復元イメージ(浦添市)
浦添ようどれが造営された山の頂部には、
イベ石(磐座)も残されています。
浦添ようどれの山のイベ石(浦添グスク内)
支配者の墓で最後に造営されたのは、
首里の玉陵(タマウドゥン)です。
世界遺産 玉陵(那覇市)
岩山に横穴を開けて墓室にしているのはその他の支配者の墓と同じですが、石積みで木造建築を表現した外観となっており、当時としては
最新にして唯一無二のデザインでした。
しかし、重要なのは、
玉陵が築かれたこの岩山が、やはり聖地であるということです。
その証拠に、
玉陵の2ヶ所にイベ石(磐座)が残されています。
上の写真で自然岩が露出しているところです。
墓の形は時代と共に変化していきましたが、聖なる岩への信仰を残したまま、聖なる山に墓を造営した点は、最初から最後まで変わることがありませんでした。
琉球の支配者たちにとって、聖地に墓を造ることはそれだけ重要なことだったのです。
次回、
支配者が聖地への造墓に執着したことを示す史料を紹介します。
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