10話 神女のクーデター
前話で「支配者が聖地への造墓に執着したことを示す史料を紹介」すると言ったのですが、すいません、1話あいだに入れます。
今回は
神女のクーデターの話。
琉球の聖地という聖地に神格化された支配者が乱立し、いくつかの戦乱を経て、
統一王権が成立したのは1429年でした。
統一を果たした支配者一族は、中国の皇帝に「尚」の姓を賜りました。
第一尚氏王統の誕生です。
統一が成った後も、
各地の聖地には尚氏以外の支配者が存在し続けました。
それゆえ王権は不安定で、クーデターも起こりましたし、王位をめぐる王族同士の争いもありました。
結局、家臣である金丸(かなまる)のクーデターで、第一尚氏王統は終焉を迎えます。
1469年のことでした。
金丸は、中国に対して、自分が尚氏の正統な後継者であると偽るため、尚円を名乗りました。
第二尚氏王統の成立です。
この時もまだ、各地の聖地には尚氏以外の支配者が割拠していました。
尚円が崩御し、跡を継いだのは
弟の尚宣威でした。
ここで、
琉球史上、特筆すべき事件が起こります。
それは即位儀礼の時でした。
神女が、尚宣威の王位継承を認めなかったのです。
尚宣威はわずか6ヶ月で退位に追い込まれました。
この事件の何が特筆すべきなのか?
これまでのクーデターや王位争いは武力を伴うものでした。
しかし、
尚宣威の退位事件は、琉球史上初の軍事に依らない神女によるクーデターだったのです。
尚宣威の墓(沖縄市)
退位後、尚宣威は越来(現沖縄市)に隠遁しまもなく薨去した
この事件を主導したのはいったい誰だったのでしょうか?
尚宣威の後を継ぎ第二尚氏三代目に即位したのは
尚円の息子、尚真です。
単純に考えれば尚宣威の退位で最も得をしたのは尚真ですが、尚真はこの時まだ12歳でした。
黒幕として有力視されているのは、尚円の妻であり尚真の母である
宇喜也嘉(オギヤカ)です。
宇喜也嘉が起こしたクーデター(尚宣威退位事件)を皮切りに、
神女の権力を絶対化し、王権を安定させる政治的宗教的システムが次々に構築されていくのです。
沖縄の聖地が男子禁制になったのも、この頃からでした。
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