11話 聖地独占、背く者には祟りを
神女のクーデターによって尚宣威は退位させられ、その跡をついだのが尚真でした。
事件の裏には尚真の母、宇喜也嘉(オギヤカ)の暗躍があったと考えられます。
(
「10話 神女のクーデター」参照)
神女の力で王位に就いた尚真です。
神女の権力を強化することは、自らの王位継承を正当化することになります。
それ故、尚真の治世(1477-1527)では
神女権力を絶対化する政策が数多く実施されました。
大和は武士の台頭する室町時代。
王権と神女権力が深く結びつき国事に当たる琉球の状況は、大和と似ても似つきません。
神女権力を強化するにあたって、
聖地の支配・管理は絶対条件です。
尚真が聖地の占有を強く意識したことを示す史料が、
世界遺産 玉陵に残されています。
玉陵の碑文です。
世界遺産 玉陵(那覇市)
玉陵の碑文
玉陵は尚真が
聖地に造営した琉球最後の支配者の墓です。(
「9話 死してなお聖地を占有した琉球の支配者」参照)
玉陵の碑文には、
この陵墓に葬られることを許された人物の名前が記されています。
尚真を含めた王族9人とその子孫は、千年も万年も玉陵に眠ることが認められました。
この9人の中に、前王の
尚宣威の名前は含まれていません。
血縁の中でも派閥があり、勝ち残った尚真の一派しか聖地、玉陵の神徳にあやかることはできなかったのです。
尚真の聖地独占の執着を示す文言が、玉陵の碑文の最後にあります。
もし碑文の書付に背く者があれば、
「天に仰ぎ 地に伏して 祟るべし」
と記されているのです。
尚真の派閥でなければ例え身内でも聖地に入ることは許さない。
背くことがあれば神罰が下る。
これが
尚真の宗教政策の基本方針でした。
沖縄の聖地=男子禁制も、この考えを基に制度化されていくのです。
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