2019年07月25日 21:07
今回はグスク防御集落説のお話をします。
1950年代まで、「グスク=城」は一般常識でしたが、
1961年に民俗学者の仲松弥秀氏がグスク聖域説を提唱し、
従来のグスク観に一石を投じました。
(『グスク聖域説を理解する』 その1・その2・その3 参照)
グスク防御集落説は、これに反論する形で提唱されました。
1969年のことです。
提唱者は、考古学者の嵩元政秀氏でした。
これは、たけぞうの個人的感想ですが、数あるグスク研究の中で、
嵩元氏が初めてグスク防御集落説を唱えた論文は、秀逸です。
現在、いちおう「定説」とされるグスク観があり、聖域説・防御集落説・城説とは別の説として紹介されるのですが、
私的には、どう読んでも「定説」の中身は防御集落説です。
今からちょうど50年前、最も説得力あるとされる説が嵩元氏によってすでに提唱されていたのです。
(グスク防御集落説、50周年!!? すごい!!)
逆に言うと、50年進展していないとも言えますが。。。
「定説」に関しては後日、お話しさせていただきます。
また、私の「グスク支配者聖域君臨説」は防御集落説とも「定説」とも異なりますが、これも次の機会に。
さて、防御集落説の解説に入りますが、優秀な論文が即一般人にも理解しやすいという訳ではありません。
まずは、嵩元氏のグスク観を原文のままお楽しみください(笑)
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A:文献上よりも明らかに支配者の居城として認められるグスク
B:発生、興亡すら文献上、口碑上よりも不明確な点の多い野面積みの石垣遺構をもつグスク
C:グスクと呼ばれながら遺物のみられぬ、又は、出土してもB式の遺物より後世のそれしか出土しないグスク、又、その他特殊なグスク
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このA・B・Cってなんじゃらほい?
ということですが、考古学的分析方法のひとつで、「分類」というものがあります。
さまざまな姿をもつ研究対象物の中に、いくつかの共通点を見出し、グルーピングする研究方法です。
嵩元氏は、「グスク」をA・B・Cの3つのグループに分類し、理解を深めようとしたのです。
あああ、、、長くなってしまった(笑)
読んでくださってありがとうございます。
とりあえず今日はここまで。
次回、嵩元分類のA・B・Cグスクの中身を
できるだけ分かりやすく説明したいと思います。
参考文献
・武部拓磨『グスク聖域と支配者の諸相』 電子書籍 2019年
・嵩元政秀「『グシク』についての試論 ―考古学の立場より―」『琉大史学』創刊号 琉球大学史学会 1969年