イベ石の信仰はグスク時代に遡るのか?(上)
グスクで拝まれる自然石、
「イベ石」
現在も大半のグスクでイベ石を祀る拝所が見られます。
じつは、
イベ石がグスク時代から祀られてきたかは再検討の余地がある、
という考えが、沖縄の考古学にはあります。
グスク時代(10~16世紀)に拝まれていた
証拠がない、というのです。
確かに、信仰は、形あるモノとして出土しません。文献情報もほとんどない時代です。
それゆえか、近年のグスク研究は
城の側面ばかりが強調され、聖域が置いてけぼりになっている感があります。
そこで私は、まず、
イベ石がグスク時代から拝まれていたことを証明することから始めました。
中城グスク南の郭のイベ石・・・
何ヶ月かずっと、どうやったら証明できるかを考え続けました。
その結果、
ひとつの方法が閃いたのです。
鍵となったのは、私が小学生の頃から神主である父に教えられていた
神社の観察方法でした。
「そこに人工物が何もない状態を想像する 自然地形はどうなっているか?」
神社に行くと、お社や石垣、階段や平らな地面など、人工物が溢れています。
それらが
すべてない状態を想像する。
すると、神社の真後ろに、岩や山などが見られることがあります。
それが信仰のルーツである可能性があり、
神社は、その自然物を崇めるのにちょうどいい場所に建立されたことが考えられるのです。
私はその観察方法でグスクを見ました。
これが現在のグスクのイメージ。
石垣や平場が造成され、一部で自然岩がイベ石として祀られています。
ここで
人工物が何もない状態を想像すると・・・
石垣の下には自然の岩盤が連なり、平場は、岩盤を埋めるか削るかして造成されています。
・・・
平場は、岩盤を埋めるか削るかして造成されている。
平場は、岩盤を埋めるか削るかして造成されている。。
平場は、岩盤を埋めるか削るかして造成されている。。。
・・・
お気づきになりましたか?
なぜイベ石は埋められも削られもしていないのでしょうか!?
そう、イベ石は、平場が造成されたとき、
意図的に残されたとしか考えられないのです。
・・・
おおしっ!これで証明できたぞ!!
と思った私は大甘ちゃん。。
以下のような反論をくらいました。
石を残した意図は、庭の観賞用にするためじゃないか?
・・・えええぇぇ(--;)
続いてのテーマ
平場に自然岩が意図的に残された理由は、イベ石として崇めるためであったことをいかに証明するか
次回に続く。
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