イベ石の信仰はグスク時代に遡るのか?(下)
グスクの
イベ石は、グスク時代から意図的に残されてきました。
しかし、
拝むために残されたかどうかは分からないという意見がありました。
はじめは庭などの観賞用に残し、後世にイベ石として拝まれるようになった可能性を指摘されたのです。
あくまで、口頭でですが。
私の課題は、
意図的に残された岩が、はじめから拝まれていたことをどうやって証明するか?
になりました。
どうやって証明しよう?
なにから手を付ければ・・・
一瞬、途方にくれましたが、ノッテいるときは閃きがあるもので、
大半のグスクに共通するイベ石の特徴に気がつきました。
イベ石って、山頂にないか?
それまでに調査したグスクのイベ石のことを思い返すと、
ほとんどがグスク丘陵の頂部に位置していることに気がついたのです。
上の画像は中城グスク一の郭のイベ石です。
一見、腰にも満たない小さな岩ですが、
城壁や平場などの人工物がいっさいない状態を想定したとき、
この岩は、
中城グスクの土台となっている丘陵頂部に位置するのです。
ただの庭石であるならば、意図的に残された岩が丘陵頂部に位置するという
共通点を持つ理由がありません。
このことから、私は、
イベ石は、はじめから拝まれるために残されたのだと結論付けたのです。
ちなみに、頂部以外に麓や中腹などにもイベ石が存在するグスクは多数あります。
頂部にしかない訳ではありません。
これで、グスクのイベ石がグスク時代から信仰されていたことを論証できました。
イベ石とその周辺が聖域であったことは間違いありません。
しかし私は、
グスクの聖域の範囲はイベ石周辺だけではなく、石垣の内側全域と考えています。
このことを論じるために、次は、
自然岩をイベ石として拝むグスクは、どのような信仰に基づいているのか?
というお話をしたいと思います。
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