戦前の首里城は日本同化の象徴だった 3
「戦前の首里城は日本同化の象徴だった」
ということで記事を書いていますが、それを理解するには前後の歴史や社会状況を把握する必要があります。
今回はまず、近代沖縄の政策について。
琉球王国が日本によって滅ぼされ、1879年に沖縄県が設置されます。
明治政府および県の沖縄統治目標は、
沖縄県を日本の1県に
沖縄人を日本人に
してしまうことだったと言えます。
しかし、その改革は日清戦争が終わるころまで、ゆっくりと行われます。
日本に反発する琉球の旧士族たちが、中国に助けを求めるなどして抵抗していたからです。
国際問題にせずなるべく穏便に琉球を取り込んでしまいたかった日本は、
琉球王国時代の税制や秩禄制をそのまま残し、県民の不満が高まることを避けようとしました。
これを
旧慣温存政策と呼びます。
旧慣温存は、日清戦争後に終わります。
旧士族の頼みの綱であった中国が日本に敗れたことで、もはや改革を待つ理由がなくなったからだと考えられています。
実際、抵抗勢力も日清戦争後は影を潜め、明治末から大正にかけて、
積極的に日本人になることに生きる道を見出そうとする機運が沖縄の中に広がっていきました。
沖縄県設置~日清戦争・・・旧慣温存
日清戦争~戦後・・・積極的日本化
沖縄における神社政策も、
基本的に同じ流れに乗って執行されて行きます。
(つづく)
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