戦前の首里城は日本同化の象徴だった 5

コッコたけぞう

2019年11月21日 22:42

本土並みの神祇制度を沖縄に確立する

沖縄の神社政策はそれを目標に進められました。
戦前の首里城は日本同化の象徴だった 3」でお話した、旧慣温存政策が実施されるさなか、突然、波上宮に破格の社格が与えられます。

1890年 “官幣小社”波上宮の誕生です。


波上宮(山崎正董博士写真) 1932年10月22日撮影

下の図で分かるように、官幣社はピラミッドの上部に位置する社格です。
(官幣社・国弊社には、さらに大・中・小の序列があります)


旧慣温存期にも関わらず、波上宮を官幣小社に列格させた県・国の意図はなんだったのか?

県から国へ提出された文書には、
沖縄県が他の府・県と何も変わらないことを県民に知らしめるため
と書かれています。

沖縄県を日本の一県に
沖縄人を日本人に

するための象徴として、波上宮は官幣小社に加列されたのでした。


しかしその後、神祇制度はなかなか整備が進みませんでした。



上の年表の右の列「沖縄の神社政策」で色付けされた部分は、神社の創建、社格付けに関わる出来事です。
波上宮を除けば、旧慣温存期を過ぎても、1923年に沖縄神社が創立されるまで神社はひとつも創建されていないことが分かります。
一方、沖縄神社創建以降は、次々に神社が創建されていくのです。


実は、「戦前の首里城は日本同化の象徴だった 」シリーズで本当に話したかったのはここからです。

本土の並みの神祇制度が求められていたにもかかわらず、
沖縄神社の創立が1923年まで待つのはなぜか?
沖縄神社を皮切りに、つぎつぎと神社が創建されていくのはなぜか?


前置きが長くなりましたが、次回からいよいよ本論に入っていきます。


(つづく)


参考文献
波上宮神社史編纂委員『玻名城 波上宮誌 通史編』波上宮 2015年




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