戦前の首里城は日本同化の象徴だった 4
沖縄の神社政策の命題は、
沖縄に本土並みの神祇制度を確立する
ことでした。
本土並みの神祇制度と言ってもピンキリなのですが、代表的なキーワードをふたつ挙げます
・近代社格制度
・一村一社
まず「近代社格制度」ですが、1871年(明治4年)、明治政府はピラミッド型の神社の序列を整備しました。
伊勢神宮を頂点とし、官・国幣社 > 府・県社 > 郷社 > 村社 > 無格社と続きます。
近代社格制度は、日本古来の社格に基づいて制定されました。
独立国家であった
琉球には、当然、社格のある神社はひとつもありませんでした。
沖縄県に社格のある神社を創立することは、非常に重要なことだったのです。
次に「一村一社」ですが、日本では1906年(明治39年)から神社合祀が積極的に進められます。
複数ある神社をひとつにまとめてしまうことで財力を集中させ、神社の経営を安定させようとしたのです。
そうした流れの中で、
「ひとつの村にひとつの神社」が望ましいとされ、
一村一社運動が展開されました。
数え切れないほどの神社が、この運動によって姿を消してしまいました。
一方、沖縄では、一村一社にするには圧倒的に神社の数が足りませんでした。
本土とは逆に、数え切れないほど神社を増やさなければならなかったのです。
次回、沖縄県がいかにして「近代社格制度」と「一村一社」の課題をクリアしていこうとしたかをお話します。
もちろん、首里城が関わってきます。
(つづく)
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