戦前の首里城は日本同化の象徴だった 4

コッコたけぞう

2019年11月20日 23:50

沖縄の神社政策の命題は、
沖縄に本土並みの神祇制度を確立する
ことでした。

本土並みの神祇制度と言ってもピンキリなのですが、代表的なキーワードをふたつ挙げます

近代社格制度
一村一社



まず「近代社格制度」ですが、1871年(明治4年)、明治政府はピラミッド型の神社の序列を整備しました。




伊勢神宮を頂点とし、官・国幣社 > 府・県社 > 郷社 > 村社 > 無格社と続きます。
近代社格制度は、日本古来の社格に基づいて制定されました。

独立国家であった琉球には、当然、社格のある神社はひとつもありませんでした。
沖縄県に社格のある神社を創立することは、非常に重要なことだったのです。


次に「一村一社」ですが、日本では1906年(明治39年)から神社合祀が積極的に進められます。
複数ある神社をひとつにまとめてしまうことで財力を集中させ、神社の経営を安定させようとしたのです。
そうした流れの中で、「ひとつの村にひとつの神社」が望ましいとされ、一村一社運動が展開されました。
数え切れないほどの神社が、この運動によって姿を消してしまいました。

一方、沖縄では、一村一社にするには圧倒的に神社の数が足りませんでした。
本土とは逆に、数え切れないほど神社を増やさなければならなかったのです。

次回、沖縄県がいかにして「近代社格制度」と「一村一社」の課題をクリアしていこうとしたかをお話します。
もちろん、首里城が関わってきます。


(つづく)







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