戦前の首里城は日本同化の象徴だった 6

コッコたけぞう

2019年11月26日 19:45

1923年、首里正殿を拝殿として創建された沖縄神社は、近代沖縄で初めて新設された神社です。

本土並みの神祇制度を沖縄に確立することを目指していながら、
1879年の沖縄県設置以来、40年以上の時を要したことになります。

新たな神社の創立に、なぜこんなに時間がかかったのでしょうか?


そこには、神社に祀る祭神の問題がありました。


1910年、沖縄県は、「県社」の社格を持つ神社の創立を計画します。
沖縄人のアイデンティティを「沖縄県民」に統一する象徴として県社を利用しようと考えたのです。
波上宮の官幣小社加列の動機とほぼ変わらないですね。

その時の祭神案は、舜天・源為朝・尚泰でした。

舜天は琉球国最初の国王、尚泰は最後の国王
源為朝は、鎌倉幕府を開いた頼朝の叔父にあたる人物で、舜天の父親であるという伝説が古くから琉球にありました。
為朝を祭神に入れることで、国王のルーツが日本にあることを強調したのです。


「英勇一百伝」「鎮西八郎為朝」 肖像 (東京都立図書館蔵)

しかし、この計画は明治天皇の崩御でとん挫し、
1914年、再度県社の創立が計画されます。

その際の祭神案は、尚泰・アマミキヨ・シネリキヨでした。

アマミキヨ・シネリキヨは、琉球で古くから信仰される神です。
舜天は、中国の冊封を受けていた時代の国王を祭神にすることは後世、問題となる可能性があるという理由で、祭神から外されました。
まだ沖縄県民は琉球王国に立ち戻ろうとする恐れがある、と判断されたのです。

しかし、尚泰・アマミキヨ・シネリキヨの祭神案は国によって却下されます。
アマミキヨ・シネリキヨが日本の神典に載っていない神であることが理由でした。


紆余曲折しながらも、1923年、ようやく沖縄神社の創立許可が国から降ります。

祭神は、主神に舜天・尚円・尚敬・尚泰、配神に源為朝でした。

1910年代に問題視された琉球時代の国王が除外されるどころか、結局、四柱に増やされて創立したのです。


1910年から1923年にかけて、いったい何が起こったのでしょうか?

次回に続きます。


参考文献
加治順人『沖縄の神社』ひるぎ社 2000年
鳥越憲三郎『琉球宗教史の研究』角川書店 1965年




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