権力を手にした者は、
なぜ自分に権力を振るう資格があるのかを説明しなければなりません。
なぜなら、正当な理由なく権力の座に就いた支配者は、他者にクーデターの理由を与えてしまうからです。
権力の正当化は、時代や地域、宗教、価値観によって様々です。
大和における幕府は、天皇に征夷大将軍に任じられ政権を委ねられることが正当化の根拠でした。
中国においては王朝交代時に、たとえ事実上は帝位の簒奪であったとしても、禅譲という形式をもって新王朝の正統性を保証しました。
神女のクーデターによって国王に擁立された尚真は、どのような論理で王権を正当化したのでしょうか?
結論から言うと、
神女によって王位に就いた尚真は、神女がいかに絶対的であるかを強調することで、自らを正当化しました。
祭祀で神女が謡った神歌を記した『おもろさうし』という史料があります。
その中に、次のような歌謡が見られます。
一 おとゝきみ、きみまさり、 (妹君 君勝り)
あんしの、つんし、 (按司の頂)
おとちや、より、まさり (弟者より 勝り)
又 あねの、きみきみ、しない (姉の君 君撓い)
(16巻-1143)
この歌謡の意味を簡単に言うと、
男の支配者より神女の方が優れている
ということです。
尚真は、自らを王位につけた神女の権力をより強調することで、
「神女がオレに国王をやれって言ってるんだから、男どもが文句言ってんじゃねえ」
と、他派閥の男性を抑え込んだのです。


尚真が建立した、世界遺産 園比屋武(そのひやん)御嶽石門(那覇市)
この論理で隙があるとすれば、他派閥の神女に王権を否定されることです。
尚真の母、宇喜也嘉(オギヤカ)が尚宣威を神女の力で退位させたように、尚真もまた別の神女によって退位させられかねません。
そこで尚真一派は、旧来の神女組織を大改造しました。
これまで佐司笠(さすかさ)神女を頂点とした神女組織が存在していたのですが、
聞得大君(きこえおおきみ)という神女職を新設し頂点に据え、
新たなピラミッド型の神女組織を確立させたのです。
そして、初代聞得大君に就任したのは、尚真の妹、月清でした。
兄妹で国王と聞得大君という祭政の最高権力を掌握することで、他派閥のクーデターの可能性を一掃したのです。
そして、尚真一派がずば抜けて巧妙なのは、
聞得大君を含めたすべての神女職の任命権を、国王が持つように制度化したことです。
こうすることで、
神女は国王が任命する。
国王は神女が任命する。
という関係が成立します。
神女と国王が互いに任命しあうこのシステムは、
安定的な祭政最高権力の継承に繋がります。
つまり、
国王「お前のことを聞得大君にしてやるから、俺が死んだらこの息子を次の国王にしてやってくれ」
聞得大君「オッケー
じゃあ、私の跡はこの娘を聞得大君にしてあげてよ?」
国王「オッケー
」
と、ごく内輪で最高権力を継いでいけるのです。
他派閥の付け入る隙がまったくありません。
私は、この仕組みを
「排他的継承システム」と呼んでいます。
以上のように、
尚真一派は、神女権力の絶対性を前提に王権正当化の論理を造り上げた
というのが私の考えです。
ところが、学問上の通説は、私の考えとはまったく異なります。
尚真の治世で神女権力は弱体化し、王権の絶対化が図られた
というのが最も支持されている説です。
その根拠は、国王から神女に交付された
「辞令書」の存在です。
先に、
「すべての神女職の任命権を、国王が持つように制度化」したと書きましたが、任命に際して、神女には国王から
辞令書が交付されました。
辞令書はふつう、身分が高い人から低い者へ下されるものです。
国王が神女に交付したということは、神女の身分は国王より下であった、と考えるのが一般的と言えるでしょう。
それゆえ、
「神女は国家公務員のようなもの」とする研究者もいらっしゃいます。
しかし、尚真一派の作り上げたシステムは、想像の斜め上を行く実に巧妙なものだったのです。
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