「日本同化の象徴だった近代の首里城」
というタイトルで、先日講演をさせていただきました。
https://www.facebook.com/496740147745333/posts/574305706655443/
良い意味で「挑戦的」と言っていただきましたが、
聞く人によっては不快に思われる内容だったかもしれません。
「県民の象徴」
である首里城を、戦前のこととはいえ
「日本同化の象徴」
と言ってしまったのですから。
しかし、
「沖縄でも知らない人が多いので、ぜひどこかで公開して欲しい」
というお声かけも複数人から頂きました。
グスク支配者聖域君臨説の解説が中途半端なのですが、
首里城焼失のショックで気が乗らないので、ここで首里城の話をしたいと思います。
「戦前の首里城は日本同化の象徴だった」
今回は第1回
戦前の首里城は神社だったというお話。
上の写真、見紛う事なき首里城正殿ですが、
大龍柱の前にある物体に違和感を覚えることでしょう。
神社などでよく見かける石灯篭です。
この石灯籠は、首里城にではなく、沖縄神社に奉納されたものです。
そう、戦前の首里城は「沖縄神社」だったのです。
首里城が沖縄神社だったことをご存知の方もいらっしゃるでしょうが、
日本政府が力づくで無理やり神社を建立した
と思われていないでしょうか?
事実はまったく逆で、
沖縄県が何度も国に掛け合って、ようやく創立許可を勝ち取って建立されたのが沖縄神社なのです。
どのような経緯でそんなことになったのか、
数回に分けてお話していきたいと思います。
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