「グスク論争」とは?

ちょっと難しいけどグスクを深く知りたい人は必読です。


「グスクってなに?」

を一流の研究者たちが本気で考えてバチバチに議論した「グスク論争」
論争の中で主にグスク=「城」説・「聖域」説・「防御性集落」説の3説が提唱されましたが、各説言っていることがかなり難解で、正確に説明できる人はほとんどいません。(ネットで拾える情報はほとんど誤っています)

3説を差し置いて現在、通説とされているのが
「聖域を内包した集落が、時代と共に城や聖域に変遷していった」
とする考え。これを単独の説として「グスク遷移説」などと名前をつける人もいますが、実はこれ、「防御性集落」説の考え方のひとつに過ぎません。(後の変遷はともかく、起源を集落と考えていることからも明らか)
「聖域」説はこの説を絶対に認めませんでした。だって、聖域に俗人が住めるわけないんだもの(という固定観念があったから)

「グスク論争」とは?

難解なグスク論争をどう理解したらいいのか?
私も長年悩んで、ようやく腹落ちするまとめ方を考えついたのが5、6年前。

まず、グスク論争には大きな争点が2つあります。
①グスクの聖域の範囲はどこからどこまでか?
②グスクの中に人は住んでいたか?いなかったか?

①の答えとしてあるのが
A:グスク全体が聖域
a:グスクの中の拝所とその周辺一部だけが聖域

②の答えとしてあるのが
B:人は住んでいなかった
b:人が住んでいた

この2つの争点に対して「聖域」説の考えは
(A・B)
(グスク全体が聖域で人は住んでいなかった)

「城」説・「防御性集落」説の考えは
(a・b)
(聖域は拝所とその周辺のみで、他のエリアには人が住んでいた)

「城」説と「防御性集落」説の違いは、同じbでもグスクに住んでいた人々の社会性の解釈。すでに階級差があり支配者が住んでいたとするのが「城」説、階級はまだ確立していなかったとするのが「防御性集落」説。

一方Aにも各論があり、グスク全体が聖域だとして、信仰の本質は先祖崇拝なのか自然崇拝なのかという議論。

さて、グスク論争2つの争点の答えには、組み合わせとして、(A・B)、(A・b)、(a・B)、(a・b)の4通りがあり得るわけですが、これまで提唱された説は(A・B)と(a・b)の2通りだけ。明らかに偏りがあります。
この偏りが生じた原因は、ほとんど全ての研究者が「聖域に人が住むはずがない」という信仰的常識を前提としていたからです。なので、聖域だから人は住んでいない(A・B)、人が住んでいるのだから聖域な訳がない(a・b)の解しか出ませんでした。

しかし、グスク時代の信仰は、我々の常識とはまったく異なるものでした。
ということで私が新たに唱えた説は(A・b)
(グスクは全体が聖域であり、その中に人が住んでいた)
私はこれを
グスク=「支配者聖域君臨」説
と名付けています。

『ブラたけべ』では「支配者聖域君臨」説の解説を中心に、そこから浮かび上がる多くの新たな琉球史観を一緒に考察して行きます。
次回は6月11日、今帰仁グスクツアー
乞うご期待!



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この記事へのコメント
大変興味深く拝見いたしました。
Posted by うぃーばるうぃーばる at 2023年07月29日 23:46
うぃーばるさん
コメントありがとうございます!
少しでもお役に立てたなら幸いです
Posted by コッコたけぞうコッコたけぞう at 2023年08月06日 20:25
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