琉球版神仏習合の起源は第一尚氏?

琉球国が一時期、仏教を積極的に受け入れていたことは、一般にも広く知られつつあります。

仏教を受け入れる際、神女を中心とした土着の宗教と仏教を融合させる、琉球版神仏習合の思想があったことが史料から読み取れます。
薩摩侵攻(1609年)以前の話です。
具体的に言うと、琉球最高神キンマモンの本地仏は弁財天である、という思想です。
私は過去の記事で、キンマモン=弁財天の思想を生み出したのは第二尚氏三代、尚真王ではないかと考察しました。(「20話 弁財天を使って寺社を取り込む尚真」
しかしそれより以前、第一尚氏六代尚泰久王と七代尚徳王の頃にはすでに、琉球版神仏習合は萌芽を見せていたのではないかと考えています。(第一尚氏は尚徳の代で滅亡)

根拠となるのは、当時造られた梵鐘の銘文です。
梵鐘とは、お寺に掛けられている除夜に108回突いたりするあの鐘です。
仏教固有の仏具になります。
琉球では、この梵鐘が、琉球の聖地である首里城や越来グスクなどに掛けられました。
首里城の方は特に有名で、「万国津梁の鐘」と呼ばれています。(学術的には「旧首里城正殿鐘」)

琉球版神仏習合の起源は第一尚氏?
【首里城にある万国津梁の鐘(レプリカ)】


こういった梵鐘に、しばしば国王の名前が刻まれているのですが・・・

じつは琉球の国王には、いくつかの名前があります。
・唐名(からなー:中国名)
・童名(わらびなー:琉球での個人名)
・神号(神としての名前)

尚真王でいうと、
・尚真
・まあかとたる
・おぎやかもい

となります。
で、ですね、問題は、仏具である梵鐘に刻まれた国王の名前はどれだったのか?

結論を言うと、
第一尚氏期は、神号
第二尚氏期は、唐名
です。

万国津梁の鐘には、鋳造を命じた尚泰久の神号「大世主」が刻まれています。

琉球版神仏習合の起源は第一尚氏?


ここで重要なのは、神号は琉球固有の宗教儀礼によって名付けられたものである、ということです。
つまり神号は、国王の琉球の神としての名前であり、仏教とはまったく関係ないものであるはずなのです。

しかし、その神号が梵鐘に刻まれている。
ということは、琉球固有の宗教が仏教の中に組み込まれようとしていたのではないか?
という仮説が立てられるのです。
首里城や越来グスクといった沖縄固有の聖地に梵鐘が掛けられたことも、琉球固有宗教と仏教の融合を意味していたのかも知れません。

では、梵鐘に神号でなく唐名を刻ませた一方で、キンマモン=弁財天という思想を作り上げた尚真王の狙いはなんだったのか?
気力があるときにまた書きますww



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