グスクの構造を見ると、
どう考えても聖域の内側に建造物が建てられています。
そして、そこには
按司(あじ:支配者のこと)
が君臨していました。
しかも、このような構造をしているグスクが
沖縄本島各地にみられるのです。
彼らはなぜ聖域に君臨することができたのか?
この謎を解く鍵となる文献が残されています。
『おもろさうし』(読みは「おもろそうし」)です。
琉球のシャーマンである神女が儀式の際に謡った歌謡を記録した史料です。
『おもろさうし』の中に、しばしば
「てだ」という言葉が出てきます。
沖縄方言で“太陽”の意味なのですが、『おもろさうし』の中では、それが
各地の按司を意味することがあります。
しかも、首里の国王が「首里のてだ」と呼ばれるだけでなく、
「今帰仁のてだ」、「勝連のてだ」、「越来のてだ」、「棚原のてだ」、「宜野湾のてだ」、「北谷のてだ」などなど
数多くの地方支配者までもが「てだ」と称えられています。

棚原按司が君臨した棚原グスク(西原町)つまり、琉球統一以前、沖縄本島には、
太陽神「てだ」を名乗る支配者が数多くいた
と考えられるのです。
このことは、歴史研究者にとっては割と初歩的な知識です。
ところが、これまで、
神格化された按司たちの居城がどのような特性を持つのか、まったく論じられてきませんでした。
私自身もまったく気にも留めていませんでした。
しかし、グスク聖域の構造を調べていくうちに、
・聖域に建造物が建てられたグスクが本島各地に確認できる
ことと、
・沖縄各地の按司が「てだ」の神格を得ている
こととが、
非常にマッチングすることに気が付きました。
つまり、按司たちは、
神格化されていたからこそ聖域に君臨することができ、聖域に君臨することで自らの権威を誇示した
のです。
これって本当に凄いことで、私が
「グスクは沖縄を代表する文化遺産である」と言い張るゆえんです(笑)
例えば、日本の戦国武将が神を名乗って山岳信仰の聖地に城を築くなんて、まず有り得ませんよね?
(諏訪大社の神の依代であった諏訪氏のような特殊な事例はありますが)
琉球では神を名乗る支配者がたくさんいたのです。
さて、ここまで理屈を優先して記事を更新してきましたが、次回は、グスクの聖域構造の具体例を写真や3Dモデルを駆使してご紹介しようと思います。
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