大和と琉球では、自然崇拝の聖地の支配の歴史が異なるというお話をしていますが、そもそも論として、
なぜ聖地を支配したがったのでしょうか?
その理由を理解するには、昔の人が
神仏のご利益や天罰をいかに強く信じていたかを知る必要があります。
例えば、
「強訴」
神社仏閣の勢力が朝廷や幕府に対して行ったデモ運動ですが、やり方が非常に姑息で、
ご神体の入った神輿を担いでデモ行進を行いました。
するとどうなるか?
ただのデモ行進であれば武力で鎮圧できますが、
行列の中に神様がいるので、為政者は手も足も出せません。
天罰を恐れたのです。
聖地を支配していた寺社勢力は、ご神威を笠に着て国政に強い影響力を持っていたのです。
もうひとつ例を挙げます。
「宇佐八幡宮神託事件」
奈良時代、宇佐八幡宮(現「宇佐神宮」)の神様が、天皇家ではない道鏡という僧侶を次期天皇にするようお告げしたというのです。

宇佐神宮境内(大分)
結局、再度神様に問い合わせたら、道鏡ではだめという真逆のお告げがあり、道鏡が天皇に即位することはありませんでした。
この事件から言えることは、
皇位継承に影響を与え得る神社が存在したということです。
「宇佐八幡宮神託事件」自体が後世の創作とする説もあるようですが、仮にそうだったとしても、
宇佐神宮の神様にそのような影響力があってもおかしくないと人々が意識していたことは間違いありません。
例を挙げればキリがありませんが、とにかく
神仏の力は絶大でした。
そして、
聖地を支配するということは、神仏の力を独占することを意味します。
聖地を支配した人々は、そこで様々な祈願をしました。
国家安寧・豊作豊漁・戦勝などなど。
これらは言いえ変えれば、
政治・財政・軍事などなどです。
聖地を支配し、神仏への祈願・祭祀を独占する
ということは、すなわち、
その地域の政治・財政・軍事を司ること
と言っても過言ではありません。
天皇家が全国の聖地に寺社仏閣を建立したのは、
その地域のすべてを支配することを目論んだからなのです。
琉球の歴史も、絶大な力を持つ神への信心を前提として展開していきました。
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