1879年、沖縄県の設置で、琉球王国は完全に消滅してしまいました。
王府が管理下に置いていた各地の聖地は、沖縄の日本化と共に、神社へと姿を変えていきます。
王国時代に建立された一部の寺社を除いて、沖縄の聖地に祀られる神は、当然、日本の神とは別物でした。
ところが、日本と琉球のルーツは同じと考える
「日琉同祖論」が学問的にも社会的にも常識となるにつれ、
「沖縄の聖地は神社になったっておかしくない、むしろなるべきだ」、という考えが非常に強くなります。
そして、
王国時代から続く神はそのままに、日本の天照大神を合祀することで、沖縄の聖地を神社の体裁に整えていくことが法律で決まりました。
1943年のことです。
(
「戦前の首里城は神社だった」シリーズの
第8話参照)
古代大和朝廷は、侵略した地域の聖地に天皇の祖神を祀らせることで統一国家を築いていきました。
まったく同じようなことが、近代沖縄で行われたのです。
聖地 今帰仁グスクに建立された鳥居
何百年、何千年後の歴史家は、
「『日本』という国は、支配した地域の聖地に日本の神を祀らせる政策を、創国から20世紀まで続けていた」
と解釈することでしょう。
しかしながら、
沖縄の聖地が神社化を果たすことはありませんでした。
実現前に、日本が敗戦したからです。
その結果、
沖縄は、日本の領土でありながら唯一神社を信仰しない特殊な地域になっているのです。
「神社は国家の宗祀」
と単純に思い込んでいる人々は、この事実を重く受け止めなければなりません。
神社を信仰しない地域が日本にある現実。
神社でなかった聖地が神社にされゆく歴史過程。
これが沖縄のリアルであり、日本のリアルなのです。
23話にわたって連載した「按司の聖地支配からみる琉球史」シリーズ。
今回が最終回です。
お付き合い下さって、本当にありがとうございました。
次回から、琉球最古の歌謡集『おもろさうし』の謎に迫るシリーズを始めよう、かなあ・・・。
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