琉球の聖地支配の歴史を理解するには、山と岩の聖地の変遷を追いかけるのが一番です。
大和の古神道の姿を留めているとされた琉球神道。(
2話参照)
この聖地観で琉球の信仰を説明しきるのは不可能ですが、
一部には、古神道を彷彿とさせる自然のままの聖地が残っているのも事実です。
クバ御嶽 (今帰仁市)
安須森(アスムイ)御嶽 (国頭村)
これらは山全体がご神体とみなされる、いわゆる
神奈備山(神体山)で、麓から山全体を拝む形になっています。
クバ御嶽麓の拝所
安須森御嶽麓の拝所
山中には磐座(沖縄では「イベ石」)も祀られています。
クバ御嶽のイベ石(磐座)
安須森御嶽のイベ石(磐座)
大和で最も古神道の形態を残しているとされる大神(おおみわ)神社では、神奈備の三輪山麓に拝殿が建立されていますが、沖縄の聖地には拝殿さえありません。
琉球の聖地に古神道の姿が重なるのは、建造物のない自然のままの崇拝が今に残っているからです。
しかし、
琉球の聖地の多くは、手付かずの自然のまま今に伝わった訳ではありません。
大きな変革が始まったのは、10~12世紀頃です。
何が起こったのかというと、
神奈備山の上に人が住み始めたのです。
それもひとつやふたつではなく、
13~14世紀頃には100を優に超える数の神奈備山が人の居住地となってしまったのです。
これがどれだけ
異常事態か。
聖地が神社仏閣で占められていた大和では、
絶対に起こりえないことです。
これが
琉球の聖地支配の序章でした。
琉球の聖地を占拠したのはどのような人々だったのでしょうか?
彼ら(彼女ら)は、なぜそのような大それたことができたのでしょうか?
お城・史跡ランキング