神奈備山に寺社以外の勢力が住みつく事例は、大和でもありました。
最も典型的なのは
世界遺産 姫路城です。

Photo by S.T

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塀や石垣などで山っぽさがありませんが、姫路城天守の建つ山は
姫山といって、もともと
長壁(おさかべ)神社が鎮座していました。
古くは神奈備山だったと考えられます。
寺社関係でない勢力が神奈備山に住み込んでしまったとき、通常、その山は聖地ではなくなります。
姫路城の場合、長壁神社は築城に際して城下町に遷座させられ、
姫山はただの「城」となってしまいました。
武士は俗人であって、聖地に住まうなどまずあり得なかったのです。
ところが琉球の場合、
10~15世紀にかけて神奈備山に人が住み始めますが、山の聖性は失われませんでした。
山中の磐座(イベ石)をあえて残し、その周辺で生活を営んだのです。
長壁神社が山から降ろされたのとは対照的です。
このような琉球の神奈備山の多くは「グスク」と呼ばれています。
(「御嶽」とよばれる神奈備山に人が住んでいた事例も、それなりにあるようです。)

中城グスクのイベ石(磐座) (中城村)

大城グスクのイベ石(磐座) (南城市)

米須グスクのイベ石(磐座) (糸満市)
上のような磐座のすぐそばに、人々の住居跡が残っています。
人が住み始めたのに、琉球の神奈備山が聖地であり続けたのはなぜでしょうか?
それは、
彼ら(彼女ら)が「神」だったからです。
大和では寺社を建立するという形で天皇家が聖地を支配しましたが、
琉球では、「神」を名乗る集団(家族・一族)が神奈備山を占拠することで、聖地支配の歴史が始まったのです。
それはどのような信仰に基づいていたのでしょうか?
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