「グスク論争」はなぜ論争になったのか?

グスクまにあっくコラム1

グスクをもっと深く知りたい人のために、他ではなかなか聞くことのできないグスクのマニアック情報をお届けします。

第1回 「グスク論争」はなぜ論争になったのか?

中城グスク南の郭のイベ石

グスク=「城」という当時(1960年代)の常識に一石を投じたグスク聖域説
その後、グスクは防御された集落とする防御集落説と、なんだかんだ言ってやっぱり城なのだとする城説との間で論争になります。

今日、論争が下火になって久しく、なぜそれぞれの説が対立したのか、よく分かっていない研究者もたくさんいます。
今現在、ほとんどのグスクに拝所があるのは事実だし、発掘すれば人の生活の痕跡も多くのグスクから見つかります。
それゆえか、グスクは聖域でもあるし、城(あるいは集落)でもあるんじゃないの?
と漠然と思っている人がかなりいるようです。

そういう人たちは、実はグスク聖域説の主張を正しく理解できていません。
私も長年理解できませんでした(^^;

聖域説の論者にとって大切なのは、
【グスクは拝所の一部分だけでなく、全体が聖域であること】
そして、
【聖域に人が住むことはできない】
ということです。

沖縄の人に分かりやすく言うと、斎場御嶽にマイホームを建てることができるか?
本土の人に分かりやすく言うと、神社の境内にマイホームを建てられるか?
といった感じです。
自信をもって「できる!」と言う人は、恐らくいないと思います。

グスク(=聖域)の中に人が住むなんてあり得ない。

その信仰的常識が前提であったからこそ、聖域説と防御集落説・城説は対立し論争となったのです。



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