先日、与那国の御嶽について講演させて頂きました。
発表の機会をくださった地域学び合い研究所(まなラボ)さま
お集まりくださった皆さま、ありがとうございました!
早く二次会でワイワイ盛り上がれるようになるといいですね。
さて、今回は、その発表内容の一部をご紹介します。
与那国の13御嶽のうち、12ヶ所が自然崇拝ではなかったことを過去記事(
「与那国の御嶽は自然崇拝ではない!?」)でお話しました。
じつはこのことから、
沖縄固有の信仰である御嶽信仰の起源が推測できるのです。
「御嶽信仰」
と一言で言っても、その内容はかなり
多重信仰です
御嶽信仰の主な特徴として
① 自然崇拝
② 祖先崇拝
③ 農耕祭祀
④ 女性中心の祭祀
⑤ 男子禁制の聖地
といったものが挙げられます。
自然崇拝と祖先崇拝は有名ですが、農耕祭祀に関してはあまり知らない人も多いかもしれません。
王国時代には、御嶽で麦や稲の収穫に関わるお祭りが盛んに行われました。
今でも「ウマチー」として伝わっています。
さて、このように様々な信仰が重なり合う「御嶽信仰」ですが、すべてが同時に始まった訳ではなく、いずれかの信仰が最初に始まり、時代が下るにつれ他の信仰が加わっていったと考えられます。
沖縄民俗学の世界では自然崇拝よりも祖先崇拝の方が古いというのが通説ですが、
これは考古学的にほぼ否定されます。
祖先崇拝の根幹である御嶽に造られた祖先の墓が、せいぜい17世紀頃までにしか遡らないことが発掘調査で明らかになっているからです。
御嶽において祖先崇拝が始まったのは17世紀頃と考えられます。
一方で、自然崇拝はグスク時代(10~16世紀)以前に遡ることが分かっています。
(
「イベ石の信仰はグスク時代に遡るのか?(上)」・
「イベ石の信仰はグスク時代に遡るのか?(下)」参照)
祖先崇拝が御嶽の起源でないことは明らかでしょう。
また、グスク時代の御嶽(グスク)には神格化された男の支配者が城を築いて君臨していたことも分かっており、男子禁制が必ずしも一般的であったわけではありません。
(
「『おもろさうし』に謡われた支配者とグスク」参照)
つまり、上に挙げた御嶽の5つの特徴の内、祖先崇拝と男子禁制はグスク時代にはなかったことになります。
① 自然崇拝
② 祖先崇拝
③ 農耕祭祀
④ 女性中心の祭祀
⑤ 男子禁制の聖地
さて、ここで与那国の話に戻ります。
与那国の自然崇拝ではない御嶽は、いつ成立したのでしょうか?

上の図は、与那国の遺跡の位置図に御嶽の位置を落としたものです。
青枠が遺跡、
赤丸が御嶽になります。
遺跡は大半がグスク時代の遺跡になりますが、ほとんどの御嶽がグスク時代遺跡の周辺に存在しています。
与那国の御嶽は、グスク時代に集落が拓かれるのと同時に造営されたと考えられます。
これは、グスク時代において、御嶽信仰に必ずしも自然崇拝が必要ではなかったことを意味します。
つまり、グスク時代の御嶽の特徴は
①
自然崇拝
②
祖先崇拝
③ 農耕祭祀
④
男子禁制の聖地
⑤ 祭祀の中心は女性
となり、残された2つの特徴から、グスク時代の御嶽信仰は
女性による農耕祭祀
であったと推測できるのです。
琉球における農耕は、11~12世紀にかけて、奄美諸島から先島方面(与那国を含む)にまで伝播したことが発掘調査で分かっています。
御嶽信仰は、農耕とセットになって奄美から先島にまで広まったのでしょう。
沖縄本島では、奄美方面から伝わった御嶽信仰の祭場が土着の自然崇拝の聖地に設けられ、与那国島では祭場が新設されたと考えられます。
御嶽信仰の起源は、11~12世紀と推測されるのです。
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