グスク支配者聖域君臨説に入ると言いましたが、ここまで解説してきたグスク論争のまとめがまだでした(^^;)
グスク論の各説。
ひとつひとつは、読めば「うむ、なるほど」と思える内容でも、知れば知るほど各説の視点や研究方法が多種多様で、こんがらがっていきます。
そこで今回は、たけぞう的にグスク論争の各説をまとめてみたいと思います。
。

フェンサグスク(崖上) 考古学的に非常に重要な意味を持つ
【グスク聖域説(葬所) : 仲松氏】
グスク全域が聖域であるとする説。グスク成立から今日まで、グスク内に人が居住することはなかったとする。
グスクの信仰の起源は葬所と考える。
【グスク防御集落説 : 嵩元氏】
社会に明確な身分差がない時代に、人々が外敵から身を守るためグスクを築いたとする説。
その中には、後に、城に発展したものがあったり、集落内の拝所を残して人々がグスク外に移住した結果、聖域グスクになったりするものがあったと想定する。
【グスク城説 : 当真氏】
グスクは発生時から城であったとする説。グスク成立期にはすでに身分差があり、支配者階級がグスクを造営したとする考え。
【グスク聖域説(山岳信仰) : 小島氏】
グスク全域が聖域であり、人の居住はなかったとする点は聖域説と同じだが、信仰の起源は山岳信仰であるとする説。
ざっとこんなところでしょうか。。。
・・・やはりまだ難しいですね(^^;)
次回、グスク支配者聖域君臨説に入る・・・ために!(笑)
複雑怪奇なグスク論争の争点を、たった2つに絞ってみたいと思います。
参考文献
・小島瓔禮「オタケ(御岳)からみた山岳信仰」中野幡能(編)『英彦山と九州の修験道』名著出版 1977年
・小島瓔禮「沖縄の聖地 ―グスクとテラと」『現代宗教―3 特集・聖地』春秋社 1980年
・嵩元政秀「「グシク」についての試論 ―考古学の立場より―」『琉大史学』創刊号 琉球大学史学会 1969年
・当真嗣一「沖縄のグシク」甘粕健(編)『考古資料の見方<遺跡編>』柏書房 1977年
・仲松弥秀「「お嶽」の本体」『沖縄文化』第2号 沖縄文化協会 1961年
・仲松弥秀「『グシク』考」『沖縄文化』第5号 沖縄文化協会 1961年
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