グスク時代の支配者、按司(あじ)は神格化され、聖域(=グスク)に君臨することで自らの権威・神威を誇示した。
(
グスク支配者聖域君臨説)
第6回目の今日は、
世界遺産 首里グスクです。

首里グスク正殿
群雄割拠の時代を勝ち残り、王国滅亡まで支配者の城として機能し続けた首里グスク。
あまり注目されませんが、ここには
グスクの根幹をなす聖域が色濃く残されています。

上の写真奥に、異様に高く積まれた城壁がご覧いただけると思います。
この城壁の向こう側は、
「京の内」(きょうのうち)
と呼ばれる首里グスクで最も神聖な聖域で、木々に覆われた鎮守の杜となっています。
王国時代は神事を司る女性しか入れない場所で、男性で立ち入ることができたのは国王だけでした。
城壁の手前に写っている祠は「首里森御嶽」という拝所で、イベ石(磐座)が拝まれていました。
グスクの根幹は山岳信仰の聖地であり、丘陵頂部がもっとも神聖視されている
ということを何度もお話してきましたが、
京の内は、首里グスクの土台となる自然丘陵の頂部に当たります。
首里森御嶽は京の内の頂部を拝む向きに造営されており、京の内の遥拝所であったとも考えられています。
京の内の中に入ると、だらだらとした傾斜が続きますが、しばらく行くと大きく地形が変わる所があります。

京の内にある石灰岩丘陵のヘリ
石灰岩丘陵が盛り上がるところがあり、この上が自然地形上の首里グスク最高所で、最も神聖な場です。

あまりいい写真でなくて申し訳ないですが、上の写真の柵の向こう、石積み囲いが
首里グスク最高所の拝所です。
これまで見てきたグスクであれば、この隣に正殿が設けられている訳ですが、首里グスクの場合・・・

最高所の拝所周辺

京の内最高所から写した正殿あれれ?
拝所の近くには何もなくて、正殿はあんな遠くに・・・
実は、発掘調査から、正殿が今の場所に建てられたのは15世紀頃であると考えられています。
そして、京の内の最高所には、瓦葺きの立派な建造物が存在していたことも分かりました。
つまり、首里グスクにおいても、他グスク同様、
頂部で拝所と建造物が隣り合う構造が成立していたのです。
この(↓)構造。
では、なぜ正殿は今の場所に建てられたのでしょうか?
これは大きな謎です。
他グスクとは違う構造を示すことで、王城の格を見せつけようとしたのでしょうか?
首里グスクは長い歴史の中で、聖域構造がしばしば変化していることが分かっています。
今後の研究でスポットが当てられる日が来たらいいなあ、と思うのでした。
正殿がなくても、首里城の見所はたくさんありますよー!
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