グスク時代の支配者、按司(あじ)は、聖域(=グスク)に君臨することで自らの権威・神威を誇示した。
(
グスク支配者聖域君臨説)
第5回目は、南城市大里の
島添大里グスク(しまぞえおおざとぐすく)です。
琉球が中山・山北・山南の3国に分かれていた三山時代、島添大里グスクは山南の重要な拠点であったと考えられています。
近年、その価値が認められ、国指定史跡に登録されました。
島添大里グスクの正殿は、やはりグスク内で最も高い位置に築かれています。

上の画像は、正殿の遺構です。
発掘調査で柱の礎石が並んで出土しました。
そして、ここ島添大里グスクにおいてもやはり、正殿と拝所が丘陵頂部で隣り合っています。

島添大里グスクの頂部は「ウティンチヂ」という聖域で、小丘陵の体をなしています。
頂部岩は、正殿の建つ平場と同じ高さに削られることなく、現代にまで残されているのです。

ウティンチヂ頂部の祠ところで、
沖縄で文化財行政に関わる方々は、大半が考古学研究者です。
しかしながら、形ある物として発掘できない
聖域や信仰といった思想・概念の分野は、考古学がもっとも苦手とするところです。
沖縄県立博物館・美術館の特別展「グスク・ぐすく・城」でその弱点が垣間見えたことは先日お話しましたが(2019/12/03
島添大里グスクにおいても残念な状況が生じています。
下は、南城市が公開している島添大里グスクの想像復元図です。
現地の説明版にも載っています。

そして、次の画像は、町村合併で南城市が誕生する以前、旧大里村が公開した想像復元図です。

違いがお分かりになるでしょうか?
正殿付近を拡大します。

南城市による想像復元図

旧大里村による想像復元図(「ウティンチヂ」はたけぞうの書き込み)
なんと、
旧大里村のときには描かれていた頂部岩を含む自然地形が、南城市の時になぜか全て削除されてしまったのです。
お陰で聖域はおろか、郭や地形の段差もない、妙に真っ平らなグスクになってしまいました。
このような想像復元図の改変がなぜ行われたのかは分かりませんが、
自然崇拝が残されているからこそ「グスク」なのだと主張している私としては、非常に悲しいできごとなのでした。。。
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