セヂ(霊力)という信仰を利用して、神女と「てだ」(按司)という二重の神格化構造をつくり上げた琉球の支配者たち。
彼らが君臨したのが、もっぱら山と岩の聖地(神奈備山)でした。
その多くは
「グスク」と呼ばれました。

上の図は、国土地理院が公開している
「地理院地図(電子国土Web)」の地形図に、グスクの位置を赤マークで示したものです。(ここではグスクの多い本島南部のみ掲載)
青 →
緑 →
黄 →
赤 の順に標高が高くなって行きますが、
すべてのグスクが山の上に造営されていることが分かります。
これらはすべて聖地で、今なおイベ石(磐座)などが祀られています。
人が住み始めたのに聖性が失われなかった点が、姫山(姫路城)に代表される大和の状況と大きく異なるところです。(
「5話 「神」を名乗る集団」参照)
琉球の支配者が聖地に君臨することができたのは、彼らが自らを神格化する信仰を確立させていたからなのでした。

米須グスクのイベ石(糸満市)

中城グスクのイベ石(中城村)

今帰仁グスクのイベ石(今帰仁村)
沖縄本島だけで200以上あるグスク、その大半に神女と按司が君臨していた。
この事実は、ある沖縄の信仰的常識を覆します。
「琉球の聖地は、男子禁制ではなかった」
沖縄の聖地は男子禁制で女性のみ立ち入りが許される、というのが常識です。
今なお、それを固く守り続けている聖地もあります。
しかし、グスク時代の聖地には、神格化した神女と
按司が君臨していました。
聖地に男性が住んでいたということです。
それがなぜ、古神道を彷彿とさせる神奈備山の姿で今に伝わっているのか?
答えは簡単です。
戦乱を勝ち残った
首里の国王が、各地の聖地から按司を追い出し我が物としたからです。
聖地の支配がその地域の政治・財政・軍事を司ることになるとお話しましたが、グスク時代の争乱は、いわば
聖地の争奪戦でもありました。
この
争奪戦を制したのが首里の国王でした。
なので、
国王だけは、聖地「首里グスク(首里城)」に君臨し続けている訳です。

首里グスク(那覇市)のイベ石(磐座)
沖縄の聖地が男子禁制になったのは、聖地を独占した首里王府の聖地支配政策の結果です。
それがどのような政策だったのか?
は、いったん置いておきます。
次回は、生前、神格化して聖地に君臨した支配者たちが、死後も聖地に君臨し続けたというお話をします。
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