与那原から知念半島に向けて走る国道331号線の道中に、
佐敷上グスクがあります。
佐敷上グスクは、琉球を統一した尚巴志の出身地として有名です。
グスクなのでもちろん聖地なのですが、昭和初期にはやった御嶽神社化の時期(
「戦前の首里城は日本同化の象徴だった 8」参照)に神社の体裁が整えられ、「月代宮」(つきしろのみや)と命名されました。
331号線沿いに建つ大きな鳥居を見たことがある人は、きっと少なくないでしょう。

月代宮の鳥居(昭和50年建立)グスクの中は今なお神社の名残があります。
グスク内の石灯篭と鳥居

水盤

拝殿(裏から撮影)

本殿さて、18世紀に王府が編纂した『琉球国由来記』には、佐敷上グスクの中に
「上城ノ嶽」という御嶽があり、
「弐御前」(二柱の神)が祀られていたことが記されています。
月代宮本殿の背後にちょっとした広場があり、

本殿背後の広場
広場の隅に石を積み上げた拝所があります。

本殿背後の拝所
一見いかにも御嶽の拝所なのですが、どうも「上城ノ嶽」はここではないようです。

拝所に設置された看板
看板には、「上城ノ嶽」が
「もともとこの場所にあったのかは、まだ分かっていません」
と書かれています。
御嶽の神社化や戦争の混乱などで元の拝所が分からなくなってしまったのでしょうか。
仮にこの拝所の位置が正しかったとしても、「弐御前」なので、もう一か所どこかに拝所があったはずです。
実は私、自身のグスク聖域研究の途上で、「上城ノ嶽」の候補を発見しました。
それが下の写真です。

イベ石とみられる岩
本殿裏の広場の端にちょこんと頭を出した岩。
この岩こそが、「上城ノ嶽」のイベ石と考えられます。
この岩は、周辺が土を盛ることで平らに造成される中、埋められことも削られもこともなく、自然の姿のまま
意図的に残されています。
これは、多くのグスクにみられるイベ石の典型的な構造です。
(
「イベ石の信仰はグスク時代に遡るのか?(上)」参照)

米須グスクのイベ石

中城グスクのイベ石

今帰仁グスクのイベ石
糸数グスクのイベ石
佐敷上グスクのあの岩は、「上城ノ嶽」の「弐御前」のうちの1つであったと私は確信しております。
実証する手立てはないですが(笑)
グスクをめぐると、埋められも削られもせず意図的に残されている岩がしばしば見られます。
その多くは今もなおイベ石として崇拝対象となっていますが、拝まれることもなく、なぜそこに残されたのか分からない岩も少なくありません。
そうした岩のほとんどは、
信仰が失われたイベ石であると私は想定しています。
みなさんもグスクに行かれた時に、こうした名もなき岩を探し出し、それをあえて残したグスク時代の人々に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
お城・史跡ランキング