冬至の朝日と浦添ようどれ中御門(ナーカウジョウ)
「ナーカ御門は東を向いており、冬至の日には、このアーチ門から太陽の光が差し込む見事な仕掛けになっています」
「中御門は、冬至のときの太陽が昇る位置を計算して作られた」
といった話を最近よく耳にしますが、確たる証拠はなく、推測を前提とした説の一つに過ぎません。
個人的には否定的です。
冬至の太陽を意識したならば、門は太陽に向かって正対すべきだと思うのですが、門から斜めにズレた所に立ってようやく見える感じです。
そしてなにより、この門は、東ではなく西に開いた門です。
ようどれの中心はお墓に葬られた王族です。王族から見ると門は西に開いているのです。
墓室前の墓庭から冬至の太陽がどう見えるか、といった話なら分かりますが、墓庭の外から墓室・墓庭をスルーしてその先の太陽を見る、といったストーリーはいかがなものでしょう。
せめて墓室が朝日を背にしてるとかであれば分かるのですが。
こうした太陽の議論はグスクなどでもありますが、誰がどこからどの位置の太陽を拝んでいたのか、はっきりしたものがなく、真否も含めてまだまだ議論の余地がありそうです。
とはいえ、冬至の朝日は実に神秘的で、自然に手を合わせてしまいました。