尚真の政策で神女権力が絶対的になったというお話をしてきましたが、
国王と男の配下の信仰的身分はどう位置づけられたのでしょうか?
結論を言うと、国王と配下は、信仰的には同格でした。
第二尚氏の思想を伝える史料に、
王府が編纂した『おもろさうし』(「おもろそうし」と読む)があります。
全部で22巻あり、1531~1623年にかけて成立しました。
1531年以前の人物も登場するため同時代史料としての価値は低いとする研究者もいますが、「1531年以降の王府の思想がわかる」という意味においては同時代性があります。
※同時代史料
書かれた内容と書かれた時期が同じである史料のこと。一般的に、後世に書かれた史料より信ぴょう性が高いとされる。
尚真以前、統一国とはいえ各地にはいまだ按司(支配者)が割拠していたことは何度かお話しましたが、
『おもろさうし』の中では、国王と配下である地方支配者が信仰的に同格に扱われました。
それは、
それぞれの尊称に表れています。
【国王の尊称】
・首里のてだ(首里の太陽)
・首里おわるてだこ(首里にいらっしゃる太陽の子)
・按司
・按司襲い
・按司のまたの按司(按司の中の按司)
・世の主
など
【地方支配者の尊称】
・〇〇のてだ
(越来のてだ、宜野湾のてだ、棚原のてだ、北谷のてだ、勝連のてだ、今帰仁のてだ、伊祖のてだ、など)
・按司
・按司襲い
・按司のまたの按司
・世の主
など
以上のように、
国王も地方支配者も、ほとんど尊称に違いがありません。
唯一「てだこ」だけは国王のことを指す、くらいの差しかないのです。
これは、国王と地方支配者の信仰的身分にほとんど差がなかったことを意味します。
地方支配者の中には、クーデターを起こして首里にまで攻めてきた
王府としては逆賊にあたる阿麻和利も含まれています。
なんと、『おもろさうし』では、
阿麻和利までもが国王と同格に賛美されているのです。

阿麻和利の墓(読谷村)
国のトップが配下や逆賊と信仰的に同格!?
そんなバカな話があるか!!
と、思わる方も多いと思いますが、
それが琉球スタンダードなのです。
では、国王と地方按司にはまったく何も差がなかったのかというと、
そうではありません。
重要なカギを握るのは「〇〇のてだ」という尊称です。
「てだ」は、神女にセヂ(霊力)を授けられた按司が獲得する信仰的身分で(
「6話 圧倒的女性優位の信仰」参照)、
国王であれば「首里のてだ」、
地方支配者であれば「〇〇のてだ」のように呼ばれました。
じつはこの「てだ」の前に付く「〇〇」が非常に重要なのです。
『おもろさうし』で〇〇に入るものをすべて挙げると、
首里、越来、山城、棚原、宜野湾、北谷、勝連、今帰仁、伊祖、糸数、玻名城、大里
があります。
これらはただの地名ではありません。
すべて聖地を表しています(「宜野湾」以外はすべてグスク)
つまり、
「〇〇のてだ」は、
“〇〇という聖地の神(神女)にセヂを授けられた按司”
という意味になります。
「首里」であれば首里の神女に、「越来」であれば越来の神女に、セヂを授けられた按司。
それを「首里のてだ」、「越来のてだ」と呼んだということです。
神女に認められて初めて支配者になれるという点において、国王と地方按司は同格でした。
男は神(神女)の下みな平等、といったところでしょうか。
ところがです。
国王と地方支配者は同格ですが、
神女には身分差がありました。
それは、尚真王の治世に成立したピラミッド型神女組織です。
(
「13話 前代未聞!尚真一派の権力独占システム」参照)
ピラミッド型神女組織の頂点に君臨した聞得大君をはじめ、上層部は首里の神女で占められています。
つまり、神女の格でいうと、
首里>越来、山城、棚原、・・・
となります。
国王と地方支配者は自身としては同格でしたが、守護する神女の格において圧倒的差があったのです。
国王「私なんて、他の按司の皆様と同じでございます。特別な男ではありません。たまたま首里の神様にセジを授けて頂いただけでして」
と謙虚を装いつつ、じつは神女の任命権を握っているという・・・
一見まわりくどいですが、
神女の下、男の支配者はみな同格であることを強調したこの思想 は、尚真王が地方の聖地をすべて支配した時に大いに役に立ちました。
いや、むしろ、
尚真が地方の聖地支配を正当化するために、この思想は生み出されたのです。
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