神格化された按司(支配者)の墓は、聖なる山の頂部直下の中腹に造られた。
今回は、
沖縄市の知花グスク中腹にある鬼大城の墓です。
大城賢雄(別名、鬼大城)は武勇で名を馳せた按司で、下の画像の墓に葬られたとされています。

鬼大城の墓
この墓は、按司墓としては大きくて立派な部類です。
石灰岩丘陵に横穴を開けて墓室としていますが、墓室外にはみ出ている天井部分をみる限り、広く丁寧に掘り込まれている感じがあります。
見たことはありませんが(笑)
墓本体の壮大さに比して、墓庭は狭く、すぐに急斜面になっています。
上の写真でやや斜めから墓を撮影しているのも、正面からでは被写体と十分な距離が取れないからです。
その墓に至る階段も、なかなか急こう配です。

鬼大城の墓に至る階段なぜこのような移動に不便、スペースも十分にないような場所に墓を造ったのか?
それは、
知花グスクという聖なる山の頂部直下でなければならなかったからです。
知花グスクは円錐状のグスクです。

知花グスク
知花グスクと鬼大城の墓の位置関係は、以下の図のようになっています。

沖縄市立郷土博物館『沖縄市の遺跡 ―第2次分布調査報告書―』2002年の図に加筆
青丸がグスク頂部、
赤丸が墓の位置です。
知花グスクはふたつの石灰岩が角のように突き出し、2カ所の頂部を形成しています。
図の右側の頂部岩は、根本から拝まれる形で拝所が整備されています。
(図中の「ウガンジュ」)
左側の頂部岩は、私が訪ねた時は展望台になっていました。(今はないかも知れません)
そのため、この岩上の往時の姿はよく分かりませんが、展望台から少しずれた場所に、岩盤が平らに削られた部分が見られます。

平らに削られた岩盤
平らな部分の奥に、自然岩が残されています。
周辺が平らに造成される中、意図的に残されたグスクのイベ石と共通する構造です。
まあこれは、言った者勝ちの範疇を出ませんが(笑)
ともあれ、知花グスクの丘陵が聖なる山であることは間違いなく、
鬼大城の墓は、その頂部直下に位置する典型的な按司墓なのです。
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