神格化された按司(支配者)の墓は、聖なる山の頂部直下の中腹に造られた。
今回は、
江洲按司の墓です。

江洲按司とつきおやノロの墓
2基並んだ墓の間に、成立年代不明の石碑があります。

江洲按司墓の石碑石碑には、
「兄 えすあんしはか左
妹 つきおやのろはか右」
(兄 江洲按司墓左
妹 つきおやノロ墓右)
と書かれています。
文中の「左」「右」は墓主体の左右でありまして、参拝者主体だと、
墓に向かって右が江洲按司、左がつきおやノロとなります。
江洲按司墓のように、2基が隣同士セットで造られていることはよくあるのですが、毎回気になるのは、
上位下位の関係です。
どちらが上位の墓で、どちらが下位の墓なのか。
江洲按司とつきおやノロ、どちらが格上の墓に葬られているでしょうか?
上位下位の基準が
方位による場合があります。
その際は、東により偉い人が葬られることが多いようです。
あるいは、
墓の高さに差がつけられている場合があります。
並んでいるとはいえ、偉い人が高い方に葬られます。
江洲按司墓はどうでしょうか?
パッと見、高いのは向かって左、つきおやノロ墓です。
しかし、岩盤を削って造られた墓室の床の高さをよくご覧ください。
高さに差があるのは墓庭で、墓本体の高さはほぼ同じです。
墓庭が造られた時代はノロを上位とみなしていたことになりますが、墓の成立当初から庭がこのような形であったかは分かりません。
仮に、庭の高さが昔は平坦であったとすれば、東に近い墓は向かって右の江洲按司墓であり、江洲按司が上位ということになってしまいます。
しかも墓で難しいのは、時代による価値観の変化で
後世の人々が遺骨を入れ替えてしてしまうことがあるという点です。
最初から江洲按司墓左、つきおやノロ右、ではなかった可能性もあるということです。
色々教えてくれそうで、実は非常に謎めいている墓。
ロマンですね~。
話がだいぶ逸れてしまいましたが、
江洲按司の墓も、地形的に非常に険しい所に築かれています。

江洲按司墓の庭狭い墓庭のすぐ外は、

江洲按司墓の崖下
このような崖になっています。
江洲按司墓は、この上にわざわざ造られました。
その理由は、
江洲グスクという聖なる山の頂部直下でなければならなかったからでした。

江洲グスク江洲グスク頂部と按司墓の位置関係は下の図のようになっています。

具志川市教育委員会『具志川市の文化財 第1集 ―埋蔵文化財編―』1991年の図に加筆江洲グスクは地形が大きく改変されてしまったそうで、往時の頂部の状況がはっきりしません。
恐らく拝所があったと思うのですが。。。
残念です。
お城・史跡ランキング