16話 逆賊賛美は地方統治のため!?

1524年、ついにその時が来ます。

沖縄本島各地に割拠していた地方支配者たちが、強制的に首里に移住させられました。
首里王府による沖縄本島全域の直接統治がはじまった瞬間です。

尚真王(治世1477-1527)晩年の政策でした。


この政策の目的として、“地方の反乱を防ぐため”というのがしばしば主張されます。
もちろん、それもあるでしょう。

しかし、もうひとつ重視しなければならないことは、この政策によって、首里王府が本島全域の聖地を直接支配するようになったということです。
「聖地」にはもちろん、地方支配者の居城であったグスクも含まれます。
「5話 「神」を名乗る集団」参照

信仰心が篤かった当時、しかも、神女の神威をことさら強調した尚真の治世において、地方の直接統治には聖地の支配は必須でした。
聖地の支配は、その地域の政治・財政・軍事を掌握することを意味したからです。
「3話 なぜ聖地を支配するのか」「7話 琉球と大和、共通する聖地支配の目的」参照

地方の直接統治は、口で言うほど簡単なことではなかったでしょう。
1429年に琉球が統一されてから100年近くもかかっています。
尚真にしても治世46年目にしてようやく達成したのでした。

直接統治が困難であった理由として、地方の領民をどう納得させるかという問題がありました。

王府は地方支配者を首里に移住させた後、按司掟(アジウッチ)という役人を派遣して地方を統治させます。
しかし、元の支配者を支持する領民にとっては、
「どこの馬の骨が」
と、従う気にはならなかったことでしょう。

王府が取った政策は、力尽くで領民を抑えつける、ではなく、
領民と共に旧領主(元の地方支配者)を大いに誉め称えることでした


?????

実際に、王府の祭祀や思想を伝える歌謡集『おもろさうし』では、旧領主を思いっきり誉めちぎる歌が多数記載されています
クーデターを起こした逆臣、阿麻和利でさえもです。

16話 逆賊賛美は地方統治のため!?
勝連グスクのイベ石(磐座)
旧領主の阿麻和利を誉め称える祭祀が行われたと考えられる聖地

王府が編纂した書物に地方支配者を賛美する内容が記録されていることは、戦前からでした。
『おもろさうし』は「危険思想」の本と考えた研究者さえいます。

しかし、よくよく分析すると、そこには実に見事な王府の地方統治を正当化する論理が隠されていたのです。


ポイントになるのは『おもろさうし』に見られる3つの思想

① 旧領主はすごい
② はすごい
③ が選んだ領主は素晴らしい


この3つを組み合わせると、王府の地方統治の正当化論理が浮き彫りになります。


領民「オレたちは王府が派遣したヤツなんか認めないぞ! オレたちにとって、主は旧領主さまだけだ!」

王府「わかりますわかります! 旧領主さま、めっちゃすごい人でしたよね!」

領民「ん?・・・お、おう」

王府「みなで旧領主さまを称えましょう! 旧領主さま最高!(思想①)

領民「旧領主さま最高!!」

王府「あれだけ素晴らしい方だったのですから、さぞかし格の高い神様のご加護を受けられていたんでしょうね」

領民「そりゃそうさ! うちのグスクの神様は最高だべ!」

王府「神様最高!」

領民「神様最高!!」

王府「神様絶対!(思想②)

領民「神様絶対!!」

王府「これだけすごい領主を選び続けた神様なんだから、これからもこの地域は安泰ですね!(思想③)

領民「まあな」

王府「あ、そういえば、最近、神役の女性が変わりましたね(国王の辞令書で神女を叙任)

領民「え?」

王府「グスクの神様のセヂが降りた神女さまなので、言うことを聞いていればこれまで通り間違いはありません」

領民「んん?」

王府「あ、その神女さまですが、うちが派遣した役人(按司掟)を新領主としてお守りになっているそうなので、よろしくお願いしますね」

領民「むう・・・!?」


という理屈です。
お分かりいただけたでしょうか?

要するに王府は、
旧領主がすごかったのは神様のお陰でしょ?
その神様は王府を支持してくれてるんだよ?
だから安心して王府の言うことに従っちゃいなよ
と言っているのです。

旧領主を批判することなく、国王を特別にすることもなく、ただただ神の絶対性を強調し、神役の女性の任命権を握ることで結局すべてを掌握する。
これが、尚真の造り上げた地方統治システムでした。
王権と神女権力の排他的継承システムと比べてみてください。(「13話 前代未聞!尚真一派の権力独占システム」参照
実に一貫して隙のない宗教政策であることが、お分かりいただけると思います。


ところで、沖縄の聖地が男子禁制として伝わっているのは、尚真のこの政策がきっかけです。
地方支配者を聖地(グスク)から追い出したこと。
ことさら神女権力を強調し、聖地を女性だけの世界にしたこと。
すべて王権・神女権力の安定を目論んでのことでした。

男子禁制になった聖地は、元の手付かずの自然崇拝の姿に戻っていきます。
現在の沖縄の聖地を目にして、安易に大和の古神道の姿を思い浮かべてはいけません。
沖縄には沖縄の歴史過程があったのです。

さて、その神道は外来宗教として琉球に入ってきますが、どのような場所に建立されたのでしょうか?
琉球の神々(神女)と対立はしなかったのでしょうか?
次回からそのようなお話をしていきます。



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