聖域に造営された按司の墓1

グスクは山岳信仰の聖山であり、その多くに神格化した按司(支配者)が君臨しました。
「新説!グスク支配者聖域君臨説」「聖域に君臨した按司」参照)

生前、神の依代であったイベ石(イワクラ)の隣に君臨することで自らの権威・神威を誇示した按司ですが、
死後はどこに葬られたのでしょうか?
まさか、神を名乗った支配者が、そのあたりの草むらや便所の裏に葬られる訳がありません。

結論を言うと、按司の墓もまた、山岳信仰の聖山に造営されました

最も神聖視された聖山の頂部直下の崖中腹に横穴が開けられ、墓とされたのです。
イメージ図化すると、下のようになります。



聖域に造営された按司の墓1



グスクのほとんどは石灰岩の丘陵からなります。
その岩盤を掘り広げて、横穴を造ります。
その中に、人骨を納めた木槨を安置したと考えられるのです。

これまでも、多くの按司墓が、崖中腹という足場の悪い不便な場所にわざわざ造られていることは知られていましたが、なぜそのような所が選ばれたのかは分かっていませんでした。

しかし、私の研究で、按司墓の位置の共通点が浮かび上がってきました。
それが、聖なる山の頂部直下なのです。
生前、神としてグスク聖域に君臨した按司は、死後もまた、神として聖山に葬られたと言えます。


これからしばらくは、その具体例を紹介していきます。
ちなみに、取り扱う按司墓は、科学的調査等でグスク時代に遡ることが確実である墓や、形態等からしてグスク時代に遡る可能性が高いと思われるものです。
後世に造られたもの、移転したものは含めませんので、ご了承下さい。

それでは、2020年もグスクで盛り上がっていきましょう!(笑)



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この記事へのコメント
聖なる山の頂部直下という特殊な場所に按司のお墓が作られたのは、各グスクで偶発的にそれぞれの場所でお墓が作られたのか、それともあるお墓の真似をしてそのような場所にお墓を作っていったのか、その他に理由があるのか気になります。
Posted by Xavier at 2020年01月09日 00:44
Xavierさん
ご質問、ありがとうございます(^^)

按司墓の位置が共通するのは、ひとつのお墓をモデルにしたからだと考えています。
それは、浦添ようどれです。
年代的に最も古く、造営当初から各地の按司が真似をしたくなるほどの威容を誇っていたと思われます。
なお、初期の浦添ようどれは、本土の寺院建築の影響を受けていた可能性が高いです。

詳しくはこのシリーズのどこかでお話しますね。
Posted by コッコたけぞうコッコたけぞう at 2020年01月10日 20:37
初期の浦添ようどれは寺院建築の影響を受けていた可能性が高い、ということは時代が経つにつれて変化していく感じなのでしょうか?

浦添ようどれがテーマのときを楽しみにしています!
Posted by Xavier at 2020年01月15日 23:24
Xavierさん
明らかに寺院の影響下で造られた按司墓は浦添ようどれだけです。
その他の按司墓は、浦添ようどれの真似をして造られていったようです。
ようどれ編をお楽しみに(笑)
Posted by コッコたけぞうコッコたけぞう at 2020年01月16日 20:24
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