聖域に造営された按司の墓6 大湾按司の墓

神格化された按司(支配者)の墓は、聖なる山の頂部直下の中腹に造られた。

今回は、聖なる山、泊グスクに造営された大湾按司の墓です。

聖域に造営された按司の墓6 大湾按司の墓
大湾按司の墓

墓の造られたあたりの岩盤は大きく崩れた形跡があり、割れ目から墓の内部に入ってしまえそうです。

聖域に造営された按司の墓6 大湾按司の墓
按司墓上部の岩盤の様子

恐らく、墓の成立以降に崩れたのでしょうが、造り直すのに適した環境ではないと言わざるを得ません。
にも関わらずココに按司墓があり続けることが、この場所にこだわった証と言えるかもしれません。


大湾按司の墓は、比謝川河口沿いにある聖なる山、泊グスクの頂部直下に造営されました。

聖域に造営された按司の墓6 大湾按司の墓
泊グスクと大湾按司墓の位置

ほんとにもう、ドンピシャでグスク頂部直下です。

泊グスクの頂部には、自然の石灰岩の露頭が見られます。

聖域に造営された按司の墓6 大湾按司の墓
泊グスク頂部の岩

周辺地形が平らに造成されているにも関わらず、この岩は埋められも削られもせず残されています。
典型的なグスクで拝まれるイベ石(磐座)の構造です。
しかし、今現在、拝まれている形跡は見られませんでした。
信仰が途絶えてしまったのかもしれません。


大湾按司の墓のほど近くに、かつて今帰仁グスクの按司だったとされる丘春という人物の墓も造られています。

聖域に造営された按司の墓6 大湾按司の墓
丘春の墓

これもまた凄い地形に造られた立派なお墓です。
柵の外はもちろん急な崖になっています。
この場所に造営された意味を考えさせられる構造です。

聖域に造営された按司の墓6 大湾按司の墓
丘春墓前の崖




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この記事へのコメント
おはようございます

”丘春の墓” はその死を隠すために造営されたのではないかと思っておます

またその墓は比謝川南岸の ”仲昔今帰仁按司御先祖の墓” を向いているのは偶然か?・・・・わかりません
Posted by みやきせん at 2020年01月31日 08:35
みやきせん さん
> ”丘春の墓” はその死を隠すために造営されたのではないかと思っておます

なるほど~、面白い仮説ですね!
そうなると、「隠すため」と言える特徴を丘春の墓に見出せるかどうかですね。
丘春墓そのものは、その他の按司墓と形も立地も変わりなく思えます。特徴があるとすれば、墓に至るまでの石灰岩がトンネルになっていることでしょうか。
考古学者には「トンネルがいつできたか分からない」と言われそうですが・・・

あと、特筆すべきは、大湾按司墓と丘春墓が非常に近くにあることです。
按司墓が並んでいる事例は、あまり聞いたことがありません。(私のデータが少ないだけかも)
丘春がこの地に客死したことを物語っているのかも知れません。
考古学者には「そもそもその墓が丘春の墓であると断定する材料がない」と言われそうですが・・・

あ、ちなみに、私は発掘はしていますが、自称「考古学者ではありません」です(笑)


> またその墓は比謝川南岸の ”仲昔今帰仁按司御先祖の墓” を向いているのは偶然か?

これも面白いですね。
按司墓の向きには何かしら意味があると思っているのですが、いまひとつ法則が見つけられないでいます。
時代差、地域差、身分差などがあったのか?
神女の託宣で決まったのか?
はたまた、他の墓との位置・向き・関係性を考えたのか?
聖なる山の頂部直下という共通点は見出したのですが、もう少しヒントが欲しいところです。
Posted by こっこたけぞう at 2020年02月01日 00:30
こんにちわ

詳しい解説ありがとうございます

今後も色んな知見をご教示ください
Posted by みやきせん at 2020年02月03日 12:28
みやきせんさん
ありがとうございます。
私の研究の守備範囲は決して広くないので、こちらこそ色々とご教示頂ければ嬉しいです!
Posted by コッコたけぞうコッコたけぞう at 2020年02月03日 19:53
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